2020/03/25 コロナと休校から私が考えたこと
今日は修了式。
1時間で荷物の整理や通知票、連絡などを全て済ませることになっています。
わたしがクラスの子どもたちに話せるのは、たぶん5分程度。
何を話そうかなー。
ずっと考えていて、当日の今日が来てしまいました。
やばいなーと思いながらの朝。
でも、ついさっきシャワーを浴びているとき、突然考えがまとまってきました。
今、慌ててノートに書き留めたところ。
もう一度、整理するために。練習の意味もこめてnoteにも残しておきます。
話し言葉になりますがご容赦ください。
この休校の間、わたしは3つのことに気づきました。
①当たり前のことに感謝
休校の間、楽しかった人?暇だったよーという人?
3月2日の1日目で、わたしはこの生活に飽きちゃいました。
毎日みんなが来て、わいわいがやがやして、ケンカしたり遊んだり授業したりして、大変なこともあった。
でも、それが毎日繰り返されても、「飽きたなー」って思ったことはなかった。
普段の生活が、当たり前にできることって、なんて幸せだったんだろう。そう思いました。
「100日後に死ぬワニ」、知ってますか?
あんな風に、突然「当たり前」がブツっと終わるときが来るかもしれない。
もちろん、コロナウイルスは、子どもが死んでしまうほどのものではないよ。
でも、このまま感染が広がったら、今できている「当たり前」は、どんどん制限されていくと思う。
みんなには、「当たり前」を大切に過ごしてほしい。
②楽しみは自分で作り出す
でもね、先生たちは、飽きたー!とグチグチ1ヶ月を過ごしたわけではありません。
一人の先生が、「給食がないなら、お弁当を作らない?」と提案してくれました。
一番おいしそうなお弁当を作ってきた人が優勝。お弁当グランプリの開催決定です。
普段ほとんど料理をしない先生たちも、おかずの栄養バランスや彩りを考えて楽しみました。
主婦の先生から評価やアドバイスをもらって、みんなお弁当作りが上手になりました。
この休校のおかげで、「お弁当作り」の力を身につけたのです。
みんなにとっての、「お弁当」は何でしたか。
たくさん本を読んだ人。苦手な勉強をした人。
いろんな工夫をした人もいると思います。
何もできないときだからこそ、自分たちで楽しみを生み出せる人になってほしい。
③当たり前の積み重ねは大きい
昨日、卒業式がありました。
普段であれば、1ヶ月かけて練習をするもの。
全く練習をしていない今年の6年生の姿は、昨年までの6年生と同じくらい立派でした。
練習をしていないのに、返事・起立・礼が素晴らしかった理由。
それは、4月から1年間、普段の生活の中で、意識してこだわってきたからです。
見えない1年間の練習があったのです。
最後がこんな終わりになること、6年生だって先生たちだって、予想もしていませんでした。
だけど、「卒業式があるから」と毎日毎日小さなことを積み重ねてきたのです。
続けてきたことは、どんなことが起きても、どんな状況でも、力を発揮する。
6年生の姿に教えてもらいました。
これは君たちも同じです。
この1年間積み重ねてきたことが、君たちにもあるよね。
どんな終わり方でも、どんな始まり方でも。
次の学年で必ず力を発揮できます。
わたしは信じています。
わたしはこんなことを考えました。
何が起きても生きている限り、人間の「考える」力は失われません。
「考えること」を続けよう。
そして、また元気に会いましょう。
…いや5分で話せないわ!笑
短くコンパクトにまとめられるようにがんばります。笑
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