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限界看護学生ヌイちゃんが人権を取り戻して人間になる話⑦


【1回生、限界になった編】

このときは毎週のように演習があったり課題、テストなどに追い込まれていた。もちろん友達という存在が皆無だったヌイは毎日寂しく過ごしていた。


毎回のようにできないながらも自分なりに演習を進めてはいたが声掛けとかが凄く苦手で、陽キャの子とかに当たると「こんな自分に当たって嫌やろうな…。」「自分が看護をする立場に立つと気持ち悪い」といった自分で自分の首を絞めるようなネガティブなことばかりを考えていた。


もちろん演習のときでも先生から怒られた。
一番しんどかったのが「あなたは看護師に向いていない。」だった。


これを何度も言われ続けた結果「自分は向いていない」と自信を失うようになった。


そしてこれと同時期に【マッチングアプリの悲劇】で紹介したTinderでのできごともダブっていたのでメンタルはさらに悪くなっていった。

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https://note.com/airin_kuruminmin/n/nd521326fbfd7


そしてある1月の演習にて、
教員から「こんなので看護師になれると思っているの?事前学習も全然できていないし本当に勉強したの?」と言われ限界を迎えてしまった。

その日の帰り道、1人で帰っている際に「自分は何のために存在しているのか。何をしても昔から否定されてばかり。できない、できない、向いていないと言われてばっかり。誰も信用できない。死にたい。消えたい。」と思いながら大号泣して帰った。そして自殺願望は高まり、帰っている最中に通る歩道橋的なところから飛び降りて死のうと柵に上った。そこまで行ったのに本気で飛び降りようとはできなかった。


自分がどれだけやばいことをしていたのかを実感して自己嫌悪でまた泣いてしまった。それだけ心が黒く染まっていたのだ。


今だから冷静になって考えてみると、自殺未遂まで行ってしまう人って自分の今置かれている環境、過去のトラウマやコンプレックスで人間関係の歪み、相談しても誰にもわかってもらえない孤独などを背負って生きていることが多いのだと思う。自分も孤独でずっと1人でいるのが息苦しかった。みんなが楽しそうに生きている中、自分は何もできないただの社会不適合者と個性ややりたいことを我慢して自分の感情を殺していた。このことを共感できる人はいるのではないだろうか。


こうして生きてきたことで自殺者に対する考えが変わったのだ。毎月のように人身事故を起こしているが通勤通学で使っている人からしたら「迷惑」「こんなところでみんなを巻き込んで死ぬな」と言いたいことはすごくわかる。


でも自殺寸前までいった側からしたら
「きっと自殺してしまいたいくらい辛い思いを抱えながら生きていたんだ。」
「いろんな人に傷つけられたりしたかもしれない。」
「自分がわからなくなったのかもしれない。」
と考えるようになった。



同じような境遇に遭遇してみないとわからないということはある。だが自殺したからといって自殺者を偏見で悪く言ったりすることはやめてほしい。このことをもっとたくさんの人に知ってもらいたいな。



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