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【抑うつだった私が自己肯定感を上げてきた方法】②落ち込まない

【この記事を書いているのは】
混合性不安抑うつ障害を克服した20代医療系会社員、乾ぬいです。
「知るだけで楽しく生きやすくなる」をモットーに、メンタルヘルス、人間関係、自己実現で悩んでいる人へ向けて、実体験と学んだことをもとに克服してきた方法を書いています。

自己肯定感が低くて、これから何とか上げていきたい人たちへ。
思考の「クセ」を変えれば、絶対に上がります。
26年間、自己肯定感が低くて苦しかった私ですが、考え方を変えると劇的に自己肯定できるようになりました。

かかった時間でいうと、元々の「自動思考」という「思考のクセ」が強かったので時間はかかりましたが、だいたい2年くらいです。
逆に言うと、26年間形成してきた「自己肯定感の低い性格」が、ものの2年でも変わるということでした。

思考のクセを変えれば、自己肯定感は絶対に上がります。

前回は、その1「ハードルを上げないこと」について書きました。


今日は自己肯定感を上げた方法、2本目です。
前回はなんだか堅苦しくて、私らしくないなと思ったので、今度はちょっととっつきやすいように書きます。



2.落ち込まない。落ち込んでも解決しない


単純に、落ち込むと自己肯定感が下がります。

しかも「落ち込む」という行為は、自分で作り上げていると思います。

ダンジョンゲームでいうと、「落ち込むルート」と「気にしないルート」があったとして、「落ち込むルート」を選択している感じ。

「落ち込むルート」に入ったら、できることはそんなにないです。
泣いて布団にこもるとか、何も手につかないでほうけるとか、辛かったことを何度も頭の中で自動再生させてさらに落ち込むとか。


「辛かったことを何度も頭の中で自動再生させる」、これは反芻思考っていいます。
抑うつになりやすい人の思考パターンです。

私はこの反芻思考を20何年もしてきました。

例えば「ブス!」と言われたとして(私の嫌いな言葉です。人の顔の造形を他人がとやかく評価するとはどういうことやと思います。ちなみに「ビジュ最高」も好きじゃないです)、

①「ブスって言われた…」
②「私はブスなんだ…」
③「あの人もこっちを見て笑ってる。きっとブスだと思ってるんだ…」

と、考え続けるとします。

①は単純に、言われたことを一度反芻しています。

でも②以降は、言われた回数以上に自分で「ブス」を繰り返して、実際に言われていないことを自分で編み出しているものです。

脳は、自分で繰り返しているだけの言葉も、他人から言われたことなんだと捉えて、何度もブスと言われているように錯覚します

自分で増幅させているんですよね。

この反芻思考が癖になると、リンチを受けているかのように自分で自分を総攻撃し続けるので、そのうち病みます。
私は兄から「しゃくれ!」「声キモい!」と言われ続けて病みました。

「私はしゃくれていて、声が気持ち悪い」と、事実かどうかは別として、長年本気で思っていました。
気にしすぎて笑ったり喋ったりできなくなったので、成人してから100万円くらいかけて歯列矯正したくらいです。そのくらい言葉の力は強いんです。

私は「反芻思考」というものの存在を知ってから、自分で自分を罵っていないか意識するようになりました。

一度しか言われていないのに自分で何度も思い出していたら、
「あっ、反芻思考だ!落ち込むぞ!」
と反芻思考警察になっていました。



ひとしきり落ち込んだ後、美味しいものを食べて、寝て、友だちと楽しく過ごして、時間が経つとそのうち忘れるじゃないですか。

「落ち込むルート」から抜け出すには、「気分転換する」「ストレス発散する」「忘れる」「乗り越える」「切り替える」とかの、何らかのアクションを起こして、それから違うルートへ枝分かれしていくはずです。

そのアクションを最初からやればいいんですよね。
自動思考で自己否定が増幅する前に。

数年前、仕事で失敗したことがありました。
それまでの私は、「失敗した…」と思うたびに1人反省会が始まって、トイレで泣いたり、ほかの仕事をしながらも頭の中では「あのときああしてたら…」と終わったことをぐるぐる考えたりしていました。

だけどそのときはたまたま多忙で、1日でこなすべき仕事があまりにも多すぎたので、他のタスクをこなすために「落ち込む時間がない」状態でした。

「今日はトイレにこもる時間すらない。反省会はあとで!」と意識的にメソメソタイムをすっ飛ばしたんですよね。


そしたら、全てが終わった後、自分の気持ちは思考で切り替えられるんだという事実に驚きましたし、落ち込まずに次にいった方がどれだけ効率的かを思い知りました。
そして、仕事の失敗の原因を、感情抜きで論理的に反省することができました。

「感情的に落ち込む」ことと、「反省する」ことは全く別物だったんです。

「感情的に落ち込む」≠「反省する」


落ち込むという行為は、自己肯定感を下げる状態を生み出すだけで、物事を具体的に解決するための方法でも何でもありません。

ただただ、次に進まずに自分を否定しているだけの時間です。

もったいなくないですか?

落ち込むのをやめてみたくなりませんか?


そしたら次は、どうやったら落ち込むルートを選ばないようになるのか。
さっきの体験でもあった通り、ポイントは「気にしない」ことでした。


次のブログでは、「気にしない」ことについて話そうと思います。


落ち込むことは何の解決にもなりません。
「落ち込んだ時間」が、成長するきっかけになる場合もありますが、それは課題にきちんと向き合って解決方法を見つけるからです。

課題を解決するための努力もせずに、
「やっぱり私はだめだ…」
と落ち込むだけの行為は避けたほうがいいですよ、という話でした。
癖になると、本当に何度も何度も繰り返しますからね。

私は、落ち込んでいる時間があったら、状況を打破するために知識を補填する勉強をしたり、環境を変えたりする努力をします。
それがうまくいかないときもあるけど、意識的に行うようにしています。

絶対に、自分の思考を変えることで元気になるから。
このことが多くの人に知られることを願って、続きもまた書いていきます。





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