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尊い愛を振り返る

私が22歳くらいの時だったと思う。大学在学中に運転免許を取得しなくてはと思った私は、当時、アルバイトはしていたが、お金はなく、何かの本に書いてあった方法で居住地の運転免許センターで実技試験を受けて運転免許の取得をすると言う格安な方法を見つけて実践することにした。
仮免を取ってから、「仮免許運転中」の貼紙を自家用車に貼って、運転経験のある人に助手席に乗ってもらえれば一般道を走ることができる。今も出来るかは不明だが、当時はそんな仕組みがあった。

その運転免許センターで、魅力的な笑顔の、でも、どこにでもいるような容姿の、私にとっての特別な男の子と知り合った。

彼も免許をこの特殊な方法で取ろうとしていた。私よりも先にチャレンジしていた彼に色々とコツを聞くうちに仲良くなり、一緒に勉強したり、遊ぶようになった。彼は3ヶ月後に渡米することを知って、高校時代、アメリカにホームステイしていた私は、彼の力になれることを思いついては、都度、準備を手伝うようになる。その中で、お互いの未来への希望、どんな人生にして行きたいか、話は尽きない日々をすごすようになって行った。

二人の関係性は、お互いをサポートするうち、私にとってかけがえのないものに成長していった。その中で、特に印象に残っているのは、彼が生まれつき視界が段々と欠けて行く病があること、不安を持ちながらも明るく、思いやりのある態度で希望を持って生きている姿を見、それでも当時若かった私にはない深刻な精神的な闇のような部分を見つけ、なんとかしてあげたいと思うようになったことが、その後の私の人生の道と生まれてきた意味を今、理解して生きることができるようになった。なにより、彼を今も大切に思う理由となっていく。

小さい時から人の幸せを願って行動してしまう癖のあった私は、聞こえはいいが、自分の利益の為に動くことができず、辛い思いもたくさんしてきた。今となっては、誰かの為に何かをしたいと思うことが愛と理解できるようになって、自然な感情で生きることが出来るようになったが、それまでは、関係者の中に傷つく人がいると思うとどうしても自分の思ったような行動ができないといったような選択をとっさにとってしまう自分に落ち込むこともあった。

彼に出会った当時の私も、ただただ彼の準備に付き合ううち、その関係性は尊いものになっていった。
楽しい日々は瞬く間に過ぎ、彼が明日、渡米するという日、私は自分の感情の愛に気がつく。このまま、数年、何も伝えずに後悔した日々は送れない。
前日にも、夜中まで長電話して話したのに、どうしても何も言えず、大切さのみが湧き上がって、どうしても行動することができない。
私はなんとか彼の地元の千葉駅まで行こうと、彼が褒めてくれたワンピースを着て、大好きなブーツを履いて、家を出る前に、まだまだ子供なのに白ワインを何度の何度もグラスについで、一本全部飲みきって、思い切って家をでた。駅まで歩いていく道のりの途中までは覚えているが、気がつくと新宿の小田急線の帰宅の為に急いでいる客が往来するホームに立っていた。家を出たのが12時過ぎだったのに、時計を見ると19時。足元のブーツは自分の戻した汚物で汚れている。今日が終わってしまう!と焦った私は、なんとか、総武線に乗り換えて、千葉を目指すが、次に気がつくと津田沼駅だった。もう、千葉に行けば、私の家のあった市川に帰ってくる電車はない。かといって、戻れは彼に最後に会うチャンスは失ってしまう。もう、23時過ぎ、駅の公衆電話から彼の家に電話した。

お母様が出ると、慌てて、彼に代わってくれた。彼が出ると、私は電話越しにわんわん泣いてしまった。
会いに行こうとしたのに行けなかったこと、明日でもう会えなくなることが辛いこと、ワンピースがゲロだらけになってしまったこと。

まだ、彼は高校生だったのに、運転免許もとったばかりなのに、迎えにいくから待ってて、と言ってくれて、車で私を彼の実家まで連れて来てくれた。ご両親もおばあ様も妹さんも、こんな夜中にヨレヨレになって泣き崩れている私を暖かく迎えてくれた。
仏間に大きな座卓があり、両脇に離れてきちんとした布団が敷かれてあって、ありがたいやら泣けてくるやら。
その夜は、2人で寝落ちするまで思いっきり話して眠りについた。

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