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叱られたことも感謝してる

今まで私のことを優しく守ってくれた話が多かったので
今回は初めて母から声を上げて叱られた話

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中2の3学期から保健室登校を始めた私の味方は、話をじっくり聞いてくれて涙を流しても泣き止むまで優しく正面に座ってくれた保健の先生でした
「先生」というものへ信用も信頼もなくした私でしたが、保健の先生だけは味方
ですが中3のときに他校へ異動されました…この時は泣いたし落ち込んだし大変でした

そして完全不登校になったのですが、離任式には行きました。最後にちゃんと保健の先生に挨拶がしたくて
母は「今は学校に行ける状態じゃないから」と止めたのですが私は「絶対行く!」そう言いはり行ったのですが、先生は都合が合わずに式に来ることはできなかったのです

家に帰ると学校に行ったことと、先生に会えなかったこと、疲れと落胆があり塾を休みました
パートから帰ってきた母は私を見て「どうして塾行ってないの!」「学校行って疲れたから、、、」「だから学校には行けないってお母さん言ったじゃない!!
母に声を上げて叱られたこと、私にとって塾よりも先生に会う方が大切なこと、それが母に伝わらず悲しくて、苦しくて、自分の部屋に泣きながら向かいました

部屋で泣いていると険しい顔の母が安定剤と水を持ってきて一言
「飲みなさい」
泣きながら安定剤を飲み込んでまた泣きましたが母はもうなにも言わずに部屋を出て行きました

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母は私のことを心配していました
塾に行っていれば、学校に行きたいタイミングがきたとき、学力の遅れがあるからやっぱり行けない…と、自信を無くさせたくなかったから塾には通ってほしかったと後々教えてくれました

私の家族も悩んで、焦った時期はあったのです
中2で児童相談所で面談を始めたとき「一週間休めば学校に戻れる」
一週間経っても行けないと「かなり疲れちゃったかな?でも春休みゆっくり過ごしたら3年生から行けるから」と言われていたので家族はゆっくり休めば、と思っていたかと思います

しかし私の心は児童相談所の職員が思っていたより深刻な状態
ゆっくり休むだけでは回復は期待できず、受診と服薬治療、カウンセリングも必要となりました

どんどん私の深刻な状態が医師から両親に伝わると、それだけ両親は悩んだはず
そして医師が診察の時私と両親に伝えたのが「頑張れと言わないであげてください。愛音さんは頑張っているから今、こうしてここにいるんです
この言葉を聞いてから長いこと私へ頑張れは禁句となりました

頑張れ、頑張ろう、頑張ってみないか、
一切言われず今の私を認めてくれました

離任式の日には叱られましたが、それは母の焦りや私への危機感だったのかもしれません
今では天国にいる母なので本音は分かりませんが…

お母さん、今はしっかりと頑張ることが出来ています
あの日に私のこと心配して叱ってくれたこと今では感謝しているから

*愛音*

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