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涙は挑戦への切符、だから私は泣きたいのです

先日、ピアサポーターオープンセミナーがあり参加しました。そこでピアサポーター研修で同じ実習先だった人が就職が決まったことを知りました。

正直ショック、素直に喜べませんでした。わりと同期は就職決まっているようなので取り残される気分になりました。
またセミナーでは名刺交換もよくあるのですが、交換すべき名刺がない私は心が痛くなります。

まだピアサポーターとして名乗れないこと
努力不足なのかと思い知らされること
本当にこの先、ピアサポーターとして先があるのか

そんな私の強みとして悩みを話せる人がいます。辛い、落ち込んでる、悩んでる、そういったネガティブな話も聴いてくれます。

皆さんは「泣く」という行為をどうとらえますか?

生きていれば泣きます。それこそ赤ちゃんは泣くのが仕事だと言われるくらいですよね。
でも、年齢を重ねて大人になると人は泣くことを無意識に制限すると思います。それを否定することはしません。それは自然な形です。
でも人が涙を完全に忘れたらどうなりますか…?嬉し涙のように暖かい涙も忘れたら、人の心はとても寂しくなるのでは…?

泣くのは弱いからではありません
強さを手に入れたくて人は泣きます
涙を拭いた手で次に触れるのは
「挑戦の結果」

沢山泣いて下さい
沢山悩んで下さい
そこで人生は終わりではありませんよ
涙は次の挑戦への切符
その切符を手にしたのなら
次はどうしましょう?
努力して新たな結果をみたいと思いませんか?

不登校になってから現在まで
沢山なんてものではないくらい
本当に沢山沢山泣いてます
泣いて、泣いて、泣き続けたけど
その涙は今の道に繋がっています
泣くことで切符を手にして
挑戦して、失敗してはまた泣いて
それでも前に進んでいると感じます

だからこれからも泣きます
安心して泣いて、未来へと進みたい
人は涙と共に生きている
そう考えた方が心と涙がまた少し
暖かくて優しいものになる

季節は寒くなったけれど
暖かい涙で先を「未来」を潤してください

*愛音*


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