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安須森御嶽に行ってきた【本島北部国頭村☀️】

2021.12月3日

友人が開業した。
私がその職業を詳しく話すには知識があまりにないので誤解を与えかねず、不安だから省く。ただ優しい彼女らしい道を選ばれたと思う。

彼女と遊んだ時に
「沖縄でその道のお仕事をするならこの御嶽にご挨拶に伺うべし!」と彼女は先達のアドバイスを受けた。
私は詳しくはないが"すっごい所にすっごい御嶽"がある事は歴史の勉強で知ってたので、彼女が1人でそこに挑戦しないか心配だった。

彼女はその挑戦の際に私を誘ってくれた。
あの日の流れを知る者であり、ほんの少しながらその場所を知っているから誘われた訳だが。
それでも、"すっごい所のすっごい御嶽"に誘われた訳で、私は誇らしい気持ちになった!!


……し、「1人で行かないで。行く時は着いてく」と言った自分を恨んだ。怖いよお。

体を張った開業祝い!
受け取ってくれぃ!!!

安須森御嶽とは
安須森御嶽(あすむぃうたき)は琉球開闢七御嶽の一つであり、アマミキヨという神が一番最初に創った御嶽(神を祀る神聖な場所)とされているため、沖縄最高の聖地ともいわれています。
辺戸(へど)にある辺戸岳が御嶽とされており、鋭く切り立った岩山全体が聖地になっています。
パワクエさんより引用。

たまに安須杜になってる資料もありますね。
アマミキヨは沖縄を作った女神です。
そのアマミキヨは天帝(日の大神)から島を作るよういわれ7つの島を作ります。(歴史書次第で、7か9)

その作られた順番が、

⭐︎安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土←ここ!

⭐︎クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
 知念森 : 南城市知念
⭐︎斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
⭐︎薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
⭐︎雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
⭐︎クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)

★首里森御嶽(しゅいむいうたき):首里城十嶽の一つ
★真玉森御嶽(まだむいうたき):首里城十嶽の一つ

⭐︎は七つ説 ★はワンセット

このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。Wikipediaより引用

首里の王国成立に辺り歴史書も色々変更があったでしょうし、日本神話(そして神仏習合)、中国神話、琉球をレキオと呼ぶ貿易国への配慮と憧れもあり文化はミックスされていきました。
なので、歴史も神話も整合が取れない部分は

見逃しましょう!⭐︎
歴史の楽しみ方のコツだと思っています!

とはいえ大体の御嶽はある程度行き来が楽というか、
難所でもある程度は整備がされてる中で、

※2回目
なーんでか、この安須森御嶽だけは立地がおかしい。
沖縄の神職は女性だけだったので昔の女性はタフといあか、信仰心が篤いというか…。

そもそも御嶽の始まりは、もっともっと昔の集落の中心地だったとかオサのお墓だったとか目立つ森だったとか。何かしら人の生活の中心地や目立つ所が神聖視されていったと考えられるのですが、

本当に何かしらのパワーや自然への畏怖が昔の人には感じられたのかもしれない。

あと「あの山に登るのこえーな」とか。

私の山登りルックは大体こう。
運動音痴がどんなに機能的な服を着ても元の可動域に変わりはない!なので、転んだ時や遭難した時の防御と目立ちやすさに重きを置いています。今のところ遭難はしていないです!

安須森御嶽は安須森と呼ばれる山や森全てが聖域。有名観光地の大石林山も安須森の一つ。4つある瀬(峰)の2つは大石林山にあります。

↑この時はそれはそれでそれどころじゃなかった。

「安須森御嶽に行ってくるね」という場合は、
そのうちの一部、黄金森の中の宜野久瀬(シノクセ)と呼ばれる場所に伺います。
それがとてもとても大変なのです。

①ヤンバルの森の中にある。

那覇からは車での移動が辛かったです。遠い…。
※運転が不得意な稀有な沖縄県民。

ちなみに、この森の泉から水を汲み首里の王府に運ぶという行事では4日間かけて歩いたそうです。ひぇ。

②広大な森の面積に対し、入り口が開けていない。また入口の表記がない。

でも今回Googleマップは大体いい仕事してました!
安須森の入り口をちゃんと教えてくれた。よしよしよし
車を停められるスペースがあり、そこに駐車。ガードレールの案内に添い登山開始です!

③相当辛い道のり。
 なのに辛さが伝わらない。

いや、マジで。
入り口に自信が持てず、車が数台止まっているスポットでちょうど山から降りてきたっぽい人に道を尋ねました。
するとここが入り口で当たってることと、もう参拝を終えたので車をここに停めるといいよ。と。
ありがたい!

その方たちは2つのグループだったのですがどちらも軽めのハイキングの格好であまり疲れが見えず、
意気投合したのか「じゃあねー!」と言い合っていなくなりました。
前情報で聞いてたより険しくないのかな?
と思いつつ登りました。ここまではご年配の方にもお会いしました。

「あ?みんな元気だわ。心配しすぎたかしら」

これがのちに慢心だと分かるし、元気な下山者の皆さんは生きて帰れた喜びで元気だったようにも今なら思われる。
そしてどのブログもそうだけど写真を撮るような隙もない山道に向かうので、
登山中の写真がネットに少ないんです。
なのでどの記事もワープしたかのように登頂してるので辛さが伝わってきませんでした。

私も辛さをお伝えするには写真が少ない事以外の証明がありません。

まさに悪魔の証明です!

↑ここまではよかった。

看板には、
聖地であること。不敬なことをするな。ヤンバルの自然大事に!(山原国定公園内です)と書かれています。
そのうえ、中腹の拝所で参拝するよう書かれています。山の頂上は神様の頭だから不敬だぞ。と。
信仰上の理由で行く場合のみちゃんと各所拝んでから登るようにとなっています。
この日は友人の仕事上という大義があるので登頂させてもらいました。

「富士山の山頂で初日の出ダメ説」と似てますね。

これ以降!マジで!

整備が最低限の中の最低限の山道!
登山道じゃなく礼拝者たちの轍道!
転ぶんじゃない、滑落するが正しい!という山道です。
なんなら大石林山よろしく岩肌ゴツゴツゾーンもある。
あちらは遊歩道で整備されてるけど、ここで転んだら頭打って死ぬ!ゾーンも多かった。

雨降った後は危ないから行かないように。
と前もって説明ありましたが、土の質がサラサラで滑りやすく岩もぐらついていたりするので、
晴れてても何も安心要素はありません。

虎ロープや木々のマークで進みます。
このロープもまたいつ張られたのか心細い…。
途中マークもロープもない箇所があって進む方向にも困りました。
この獣道のような「道?」を一歩ズレると滑落です。
だから写真はないよ!
途中「傾斜何度?」って岩山コースもありロッククライミングのような雰囲気に。

高所恐怖症ではありませんが、転んだら危ないことはわかる。

最初対の祠では「どこどこから来ました。お邪魔させてもらいます」程度に欲を出さないようにしていました。

ちなみにこの段階で上の方が険しく怪しく見えていたので友人が辞めるって言ったらすぐ乗っかろうと思っていました。
しかしご夫婦かな?少し年上くらいの男女が立ち止まり女性の方が電話をしていたので、あまり長々とうだうだ出来ず進まざるを得なかったのでした。

が、2個目、3個目の祠では、不安定な道でプルプルしながら、
「生きて帰れますように!もし死んでも魂だけはお父さんとお母さんの所に連れて行ってください!」と半泣きで欲を丸出ししてきました。その間、足はずっとプルプルしていました。2速歩行覚えたてのよう…。

え?写真?ないよ?

最初友人が前を登って…這って?いたのですが、
途中男性2人組とすれ違い道を譲った時か、次の道が分からなくなってお互いに辺りを伺いに行った時にか、
私の方が前を進むことになりました。

足場の悪さと慣れない運動に「ゼヒュー…ひぃー」みたいな呼吸の私を後ろから友人が心配しているのも気づいていましてが、
ここまできて辞めるわけにも、また彼女の念願が叶わないのも悔やまれたので無視しました。←

なんなら余裕を見せてやろうと後ろを振り向いて「大丈夫か?」と声をかけようとしたところ

↑友人写真拝借。登ってる間ずっとこんな感じ

え?傾斜何度?みたいな後戻りのできない、下り方の分からない帰り道と、ヤンバルの絶景が目に飛び込んできました。
彼女を励ますつもりが出てきた言葉は
「あ、見なきゃよかった!」でした。

更に山は険しくなり、
踏むところも掴むところも心許ない。

そんな山を約40分登りました。
たったの40分!?気持ちは半日でした!

急勾配や道なき道を無理に突き進むルートだからこそ苦しく辛かったのであり、
実は標高もそう高くない峰…。これもまた辛さが伝わらない理由の一つです。(※④とする)

そして開けた場所にでた!登頂です!

も、もう今までの恐怖と使わない筋肉を酷使したことから手足、肺が小刻みに震えてます。妙な口渇と呼吸のし辛さから咳が止まりませんでした。

なけなしの力で撮った証明写真です。
低い生垣のような木の向こうは崖です。注意。
祠は3つあり、それぞれに友人にお供えやお祈りをしてもらい、私は「生きて到着できました!ありがとうございました!帰りも!帰りも何卒!!」と欲を出していました。 

祠の1つは少し離れたところにあり、かえって調べたところ「女性の神様だから写真を控えて欲しい」と聞いたと個人のブログさんに書いてありました。偶然にも写真を撮り忘れていたのでよかった…。

お供えしたものをウサンデー(いただき)、「1年生になったら富士山の上でおにぎりを食べる」歌に倣い2人でおにぎりを食べて帰りました。

帰り道、四つん這いでブルブルしながらおりました。
祠に感謝しながら帰りました。
「これで上に忘れ物してたらウケるね」

いかがでしたか?

自治体のデータベースも少なく、詳しく調べようとするとパワースポット巡りのブログさんや、歴史研究の方のブログさんでのみしか情報を得られなかったので、仔細は伏せておきたいと思います。どれもその人にとっての真実で、信仰の形もさまざまで良いのですから。

また自治体でのデータが少ないのも道中の危険性や神聖なものへの穢れ、あとは自然環境下への懸念を嫌い
あえて詳しく載せていないんだろうと思います。
歴史資産であり神聖なもので整備も難しいでしょう。そしてその状態で観光誘致してはマナーの良くないお客を呼び寄せたり、怪我人や最悪は………な、恐れもあるから今のままなのかなと思いました。

帰りの車中「もう来ない!(笑)」と宣言したものの、その日の夜には高揚した気持ちで「また登りたい」と思う私がいます。
しかし今回のような大事な用向きも滅多に無いでしょうから、私はもう伺う日は来ないだろうなと思っています。

ビビリで言ってるわけではないですよ! 


余談①

右手に巻いていた石付きのミサンガが岩を掴み損ねた時に石が割れてしまいました。そのまま一本の千切れた紐になってしまいましたが、お陰で怪我せずに済んだ気がします。
ちなみに静電気除去グッズでした。だから右手…。

余談②

一番最初の祠で出会ったご夫婦。
電話をしていた女性の方が、ずいぶん軽装でトートバッグのような鞄を片手に登頂してきた時は
「こんにちはー」と声かけていただいたにも関わらず
「すごい!!!」と返しました。
なんと5回目の登頂だそうです。
これを書くとまた辛さが伝わらない気がしましたが、驚いたので…。
多分ジャンプしたらロケ地にたどり着くTVのアレの使い手か、パルクールの名人か、スタンド使いです。

余談③

帰りの車中で既に筋肉痛が始まっており、次の日1日はキツかったです。
しかし左足に青あざ、以外の怪我なく済みました。
帰って家で毎日5000歩を目指すコークオンのアプリで歩数を調べると、

5000歩届かず!は、半分!?
車移動の姿勢と崖上りの辛さで気づきませんでしたが、普段より歩いてなくて驚きました。

※3回目

辛さの伝わらない記事⭐︎
文字ばかりなのに読んでいただきありがとうございました!
みんなは無闇に登るなよ!

(ぶっちゃけ各自調べてチャレンジャーの写真を見てほしい…。ほんとすごい辛いところだったので)

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