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5月3日、仰ぐ花も伏す花も

約3年。
民間の老人ホームで人員不足の中、
毎月70時間前後の残業に働くだけの生き物だった。
自律神経が乱れ疲れ果てたと自覚はあるが働くことが当たり前だった。働くことに理由はなかった。

夜間、体調不良のお年寄りのバイタル測定の時
なんだか屈むたびにふらついて。
なんとなしに自身の指にパルスオキシメーターを嵌めてみた。 

酸素飽和度96%の正常。
しかし、脈拍数 200/分。
健康な成人の場合80〜100/分なので、
明らかに異常である。

今、このホームで、
一番心臓がバクバクいってお迎えが近そうなのが、
最年少の私だということがおかしかった。
つい座り込んでボーッとしてしまったが、夜勤は一人で行うので誰も仕事を代わってくれる人はいない。

私は、誰かのために死ねるほどの篤さはない。
無理だ。仕事辞めよ。
そうして本当に辞めた。これだけ体調の悪さが露見しても退職理由は「一身上の理由」とされた。

これだけ聞くと大変も大変、ちょーヤバい!
って感じだが、少し落ち込みはしたもののすぐにケロッとしたし、辞めたことに寂しさを感じる愛着もあった。

「最悪な職場だったね!最悪な3年間だったね!」
と言ってもらえると、心配してくれるその心が嬉しくてつい同意してしまう。
でも実際のところ、
すでに過去の話なのであまり引きずってない。
元々あまり過去をやり直したい願望が薄い。学生時代に戻ってアレをしたいとかも、ない。

なんやかんや、
その最悪の状況でも楽しいとかウケるとか、これは一生のネタになるなって事が多いからだと思う。

この3年間で、オジイやオバアからたくさん心を含んだ歴史を学んだし、いろんな症例に出会ったことはかけがえのない経験になった。

一つ、この3年間で得た経験で、
オジイやオバアに関係のない話をしたい。
ストレス発散徘徊での出会いがあった。

嫌なことがあったり楽しいことがあったり、とにかく脳も体も興奮状態になること。これをストレスという。
一般的にストレスはネガティブな意味合いが強い。

そんな頭の中がブワッとした時、
私は徘徊する癖がある。
いつもの「海が見たいな。葉っぱが見たいな」じゃない。ただただ歩く。意味なく歩く。
そうしてストレス発散する。

普段のキョロキョロのほほんと歩くのも傍目にはヤバそうだが、このストレス発散徘徊はその倍以上にヤバそうな人に見える自覚があるので、
ウォーキングの体で音楽を聴きながらたまにスマホを操作しながら歩くようにしている。

その日も前日正午に出勤して翌日15時まで残業させられて沸々としていた。死んだように仮眠をとって、夜の19時前後から当てもなく歩き始めた。残業マジ許すまじ。

とりあえず音楽はかけていたが何を聞いてるのか分からないくらい、ただ歩くことだけを考えていた。
信号待ちもできない。待つくらいなら道を変える。
結構家から離れてしまっていたが、とにかく早歩きでスタスタスタスタ…。

とにかく没頭していた。周りを気にせず自分の足がちゃんと動いてることだけみてた。爪先を見て歩いてた。

だが、突然。

「えー!姉さん!!」
急に大声で怒鳴られた。

ちょうど音楽が切れた瞬間だったのと、集中し切っていたため、ぐわっと耳に入ってきてとても驚いた。

あまりに突然だったので状況把握ができず、
人の声だと思わなかった。クラクションのように聞こえた。つい集中しすぎて車に轢かれかけたのかと思った。

「んぎゃっ!」って叫んだと思う。
なんなら垂直に飛び上がった。マリオみたいにぷーん♪って跳ねた。恥ずかしい。

声をかけた方も驚いていた。
目ん玉落っこちそうなくらい目を見開いて「はーん!」って叫んだのはタクシーの運転手のおじさんだった。
休憩中らしくタクシーから降りて自販機の前でコーヒー片手にタバコを吸っていた。

私はちゃんと大通りの歩道を歩いていて、偶然おじさんの前を通ったために声をかけられたようだ。怪しさや事故危険から声をかけられた訳ではなかった。

「ななん、なんですかー!?」
驚いたままイヤホンを外して出来るだけ冷静に応答したつもりだが、
おじさんも驚いてたし、申し訳なさそうに苦笑いしながら「あれよー、あんた気づいてないでしょう」と道の向こうの夜空をタバコで指した。

打ち上げ花火が上がっていた。
コロナ禍以前の那覇ハーリーでの花火だった。
実際のところ都心のビルの合間にひっそりかすかに見える程度だったが、会場は近かったので音はとても響いていた。

おじさんは音楽を聴いて花火に見向きもしない私に、なんて勿体無い、と声をかけてくれたのだ。
わざわざ見ず知らずの私(怪しい)に無邪気に笑んで花火のあがったのを教えてくれたのだ。

ほんの、小さな花火の端っこに。
こんなに心奪われることがあるだろうか。

少し見上げたままポカーンとしてしまったが、
ハッとしてお礼を言った。
「すいません驚いちゃって、花火、全然気づきませんでした」
私は花火に背を向けおじさんの顔を見て誠心誠意の挨拶だったわけだが、
おじさんは花火に釘付けでニコニコしながら私と目が合うことはなかった。少年か。

「昔は娘と行きよったけどねー。娘は彼氏ができるし、ワンは今はタクシー持ちやーだから。花火は遠くからしか見ないねー」
どこかに思い馳せているようだった。

私は今日花火が上がることさえ忘れてた。このおじさんのお陰で見過ごすはずのものを見られたことに感動した。偶然と人のいいおじさんの奇跡だ。

結局知らないおじさんと煙で曇った空が暗がるまで一緒に空を見上げていた。
シーン‥と静まり返って、またお互い苦笑いして会釈して。どうも、なんて軽い言葉でその場を後にした。

角を曲がる前に、なんとなく振り返ってみると
おじさんはまた新しいタバコに火をつけていた。仕事しないのかな。いや、今度は一人で思い馳せたいことがあったのかもしれない。


この出会いで人生が変わる訳なく、明日も明後日も。
なんならまた同じ仕事を残り1年以上続ける訳だが、
何か心が晴れる気持ちはした。

その日初めて自分で選曲して美味しいものを買って帰ろうと思うくらいには気分が良くなった。
それだけでストレスが吹っ飛び、最悪な毎日を最高と最悪の間のイーブンには持っていけるほど嬉しかった。

これからも、こういう風に私は何かに救われながら自分の足で生きていけるのだと自信がある。


あの日、何か甘いものをコンビニで買って、気分が更に良くなった。何か覚えてないけど。

ただあの日、何を聴きながら帰り道にあるコンビニに向かったかは覚えている。受動的に生きる中で何かを選択することが珍しかったから。

ガガガSPの線香花火。
当時でも既に懐かしい曲だが、そんな気分だった。
仰ぐ花火も伏す花火も、とても美しいと思うのだ。

嗚呼 線香花火よ 当たり前のことしかない現実に
ふと僕の意識が飛ぶ程に
全てを照らし続けてくれないか。

嗚呼 線香花火よ この路地の向こうにいる
あの娘の顔も一緒に照らしてくれないか
この暑い夏の夜に

----ガガガSP「線香花火」よりサビ引用----

知らないタクシーのおじさんへ。
実はあの時辛かったんだ。おじさんのお陰で元気出たよ。ありがとう。

知らない人への恩の返し方が分からないから、
せめて誰か思い詰めてる知らない人に
「花火上がってますよ、見れてよかった」
くらいの一言が言えればいいなと思う。

2019年5月3日、
以降那覇ハーリーは2年連続開催されていない。
早くまた花火が見れますように。
カオリ様より画像一点お借りしました。

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