見出し画像

団塊の世代とバブル世代

X(旧twitter)では、さかんに団塊の世代批判が行なわれている。だが、彼らは昭和時代には、団塊の世代と呼ばれることは少なく、全共闘世代と呼ばれることが多かった。


①全共闘世代


東大の全共闘運動は1968年の出来事なので、昭和時代までは記憶に残っていたのだろうが、平成になると遠い過去の話になり、忘却の淵に沈んだ。そこで、昭和の頃は、それほど使われていなかった団塊の世代(作家の堺屋太一の用語)という呼称の方が一般化したのだろう。


②全共闘世代の残したもの


全共闘運動は当時の大学の進歩的文化人を攻撃した。進歩的文化人は現在で言えば、リベラル知識人であって、彼らの偽善や欺瞞を批判したこと自体は、別に間違っていたわけではない。当時の問題意識は、弱者の味方をしているのに、社会経済的に恵まれている地位にいるのは矛盾であるということだった。


現在でも、例えば、日本共産党の前議長の不破哲三氏が豪邸に住んでいるというような話があり、状況は当時と本質的には変わっていない。全共闘の人達は、批判の方法を間違えただけで、批判の対象の選択を間違えたわけではなかったと言える。


だが、彼らは、今や単に元左翼の高齢者としか認識されなくなった。現在、リベラル知識人を批判する人達も、その問題が全共闘運動によって、すでに取り上げられた事柄であることに触れるケースは少ない。


③バブル世代


X(旧twitter)で「新人類世代はバブル世代に含まれるだろう?」と言ってきた人がいるのだが、昭和時代には、バブル世代という呼称はなかった。平成になってバブルが弾け、あの景気はバブルだったということになったので、バブル世代と呼ばれるようになったに過ぎない。

新人類世代の後半が左側のバブル世代となる。

上の表の団塊の世代と新人類世代の間の空間には「しらけ世代」が入る。


④団塊ジュニア

団塊ジュニア世代は団塊の世代と同様、数が多いので、遺族年金を減額させられる案がでていたようだが、強い反対がおき、今回は見送りになったらしい。だが、団塊ジュニア世代は氷河期世代の先頭で、彼らは国家に捨てられたとも言われており、新型コロナでも、副反応が強いといわれたアストラゼネカ製のワクチンを撃たれた。団塊ジュニア世代は親世代のように抗議せず、ネオリベ的主張を支持しているようだ。

彼らについては、稿を改めて書きたい。

お読みいただき、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?