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文章の練習

①話すことと書くこと

日本語①でも採り上げた本。
アメリカ人に学校で作文の時間に何を習ったのか尋ねたら「スペリングの誤りをなおしてくれた。ときには文法の間違いも正した。それだけ」と書かれている。言文一致の国は、それでいいらしい。話したことをそのまま文字化すれば、文章になる。これは楽だ。日本語ではできない。文章の練習が必要になる所以である。
この後、「話の上手い人は文章がまずい。文章のうまい人はたいてい話下手である」とある。そういうものなのか、私にはよくわからない。ただ饒舌なのに話が要領を得ない、何を言いたいのか解りにくい人がいるのは確かだ。
「日本語は言文別途。文章だけ切り離して上達できる。」英語の勉強で、会話は不得意でも英作文は得意だという人はいるようなので、英語の場合でも、文章だけ切り離して上達できると思うが、どうであろうか。外国語と自国語では異なるということはありそうだけど。外国語の会話の場合、聴く能力も重要だから、話上手の意味が日本語の場合と違うという面はあるだろう。


②文章読本

小説家の文章読本は役に立たない。この本はマシな方。
いくつか列挙してある教訓のうちの一つ。「ちょっと気どって書け」はいいと思う。あまり気取り過ぎると目も当てられないことになるが、平明過ぎずに少しだけ骨がありそうに見えるように書くとよいのかもしれない。また、漢字が続き過ぎないように、とか平仮名が続き過ぎないようにと書かれており、これも為になった。

③私は読点の打ち方が変なことがあり、自分でも自覚しているが、なかなか上手くいかない。また、noteは、あまり長く書かないようにしている。途中で読まれなくなるような気がするからだ。1000文字に達したら切ってしまい、続きは②として別の機会に書くようにしている。筆力のある人なら、こんな配慮は無用だろうが。
いろんな人の文章を真似したこともあるが、自分のスタイルを作るなどという大層なことは出来ていない。ただnoteに定期的に文章を書くのには慣れたので、多少は進歩したと言えるかもしれない。

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