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28歳で死にかけて、直観で生きることにした私の現在地(2020.10)

私がやろうとしてる事は、
まだまだ上手く言葉にできないけど。
このページではなぜ食の道に進むことになったのについてちょっと思い出しながら書いてみようと思う。


2年前に死にかけた話

全てのきっかけは2018年の10月、私は死にかけていた。


ある日突然検診を受けていた病院から電話があり、命の危険がある大きな病気にかかっていたことが分かったのだ。



それまで、特に大きなけがも病気もなかった私にとってそれはあまりにも突然すぎる出来事だった。



忘れもしない良く晴れた秋の日、病院の帰りに表参道の並木道を歩きながら私は「この人生には終わりがあるのだ」と、いきなり実感した。


その時の話をすると、”さぞ悲しかったでしょう”とか”どんな絶望だったんだろう”と言われる時がある。


でも最初は絶望なんかじゃなかった。

今まで忘れていた真実を知った時のハッと目が覚める感覚と、

突然周りの世界が色鮮やかで、

今生きていること自体がとても奇跡的だ
という気づき。

そして、真っ白な地図のど真ん中にいる自分を想像して、

”これから、この地図のどこへでもいける!!!”

と冒険漫画のようなセリフを思い浮かべた。


「でも、もしその地図に立つこと自体が、もうすぐ終わるとしたら?」


さすがに早すぎない?っていう悲しみが次に押し寄せて。あれもやってない、これもやってない、という類の焦りがその次に。なんで私が?という考えても仕方ない気持ちも勿論湧いてきた。でも結局最後は同じ答えに戻ってきたのだった。



「じゃあ今日一日をどう生き生きと過ごそうか?」



自分の心地よさを手繰り寄せる


私はそれからの1年、闘病生活をしていく中で、自分の人生に初めてとてつもなく真剣に向き合うことになる。


・自分が心地よいと思うこと

・大切だと思う事

・心が動かされる瞬間

これらを必死で手繰り寄せた。


どうせなら、そういう時間を過ごしてこの世界を満喫したいと思ったから。

同時に、何に違和感を感じるかを正直に確かめていった。そういう時間をなるだけ作りたくないと思ったから。



たぶんあの日からずっと私は、生きるために必死だったのだと思う。


(追記(2021.04):あれからしばらく経ってみて、心地よさとは”悲しみ”や”苦しみ”などの負の感情もすべて含めて「人間らしくて愛おしい」と思えることなのかも。ありのままでいい。”無条件に”この世に生まれて良かったと思えることが「生き生き」なのかも。とか考えている。この心境の変化についてもまたいつか追記したい)



自分の心地よいことって?


自分の心地よさを手繰り寄せる中で、ある確信が芽生える。


私は誰かや何かやこの世界と「繋がりたい」

そう切実に感じていたのだ。



具体的に言えば、誰かの存在を感じること。

誰かを受け入れたり、受け入れられたり、言葉を超えたコミュニケーションが取れたときの嬉しさ。

人間味(生命力)を感じるときのみずみずしさ。



またそれは人間だけではなく、自然や周りの世界と一体になった時。

自然の中に身を置いた時に感じる安心感や安らぎ。

味覚で世界を味わった時の幸せ。



それは病気によりこの世界から切り離されていく恐怖や、身近な人と分かり合えなかった時の孤独への抵抗だったのかもしれない。


それとも、人間はみんな母親と繋がっていたへその緒が切り離されたその瞬間から、1人で生きていかなければいけないという根本的な孤独があるのかもしれない。


いずれにせよ私にとって繋がり=個々として存在するもの同士が、それでもなんらかの繋がりを掴んだとき。自分が自然を含めて全てのものと繋がっていると感じられた時、それが生き生きする瞬間そのものだった。



食は結び目


自分と他人、自分と周りの世界。



食はその繋がりを作る結び目なのだと思う。



あの時の孤独を癒してくれた、誰かが作ったご飯のあたたかさもそう。


食べる。食べさせるという行為が言葉を超えたコミュニケーション手段となり、誰かとの関係の癒しになっていたこともそう。


薬の副作用で失った味覚が戻った時、その”味”を通じて一気に世界と繋がった感覚もそう。


食は、単なる栄養素ではなく、自分と何かを繋ぐ手綱であり、自分がこの世界を感じる窓口でもある。

料理をすることは表現であり、食べる食べさせるはそのまま存在の交換でもある。


でも、もっというと、ただ単に、美味しいものを食べたら幸せということと。美味しいものを誰かと囲んで食べることもまた幸せという、理屈よりももっと根底にある本能的な感覚。記憶。大切であたたかな記憶。


そんな食の力をお借りしながら、温かい瞬間や、生き生きと感じる瞬間が沢山生まれたらいいなと思っている。



で今やっていること、今までやってきたこと。


そういう想いがあって、2019年から2021年までの3年間、代々木でPop-up レストランの運営(6か月)、調理師学校(1年)、穂高養生園での料理研修(10か月)を行い、料理のいろはや食が持つ力について学んでみた。


そして2022年は、引き続き料理を一つの道具として自分の考えていることや根底にある想い、を世の中に実装していければと思ったりしている。


つまり、私のOS=すべての人が生き生きと生きられますように、(だってこの世に生まれた限りはそうしたほうが楽しいから)=すべての人が主体的にのびのびと歩むことができますように。という想いがどうしたら実装できるのか??


ただし、それは料理だけじゃなくても良いとも思っているのが正直なところ。

幸いにも、今所属している会社で食を通じて社員のWellnessを考えるProject(コラム執筆など)をさせてもらいながらもう少し、探ってみよう。

あと、正解を探すのをやめて、自分に正直に生きることを徹底していたら、なんだかとても楽に進めている気がしています。(たまに見失うけど)


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(2021.12.23)









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