みっつの食を巡る旅 ♯あいみつ

甘くておいしいものが好き。人が好き。文章がすき。人がより生き生き生きるには?を考えてい…

みっつの食を巡る旅 ♯あいみつ

甘くておいしいものが好き。人が好き。文章がすき。人がより生き生き生きるには?を考えています。 そんな私がたまに偉そうに語るコラムです。 どうぞお楽しみください。

最近の記事

言葉は伝わらないからこそ意味がある

ただ仲良くしようとしただけなのに、 交通事故に逢ったみたいに、 心無い言葉にふと傷つけられることがある。 その時は大丈夫なふりをして、出来るだけ大人でいたいと思っても 後から毒針みたいにじわじわと効いてきて頭から離れない。 身体はどこも傷つけられていないのに、 カウンターパンチを食らったかのように、お腹に衝撃が走る。 本当は何もなくなっていないのに、 全てが崩れ去ったみたいに不安になって涙がでる。 全ては変わっていくものなのに、それが永遠に続くように思え、

    • わたしという存在

      ただ在る。 ただ生命体として、ここに存在する。 たくさんの元素が入れ替わる中で、 宇宙の地球の日本の、今ここに偶然にも存在しているだけの。 ただそれだけのわたし。 「私は感じることができる。」 ある日の木漏れ日に心震え、誰かの歌声に癒され 言葉にできない気持ちに涙し、 誰かのぬくもりに顔をうずめることもある。 ”私はあなただし、あなたは私で、わたしたちは宇宙” 呼吸して、自然と一体となり、全てを感じられる。 「私は考えることができる。」 カコを悔やむし

      • コラム#6 忘れられない店員さんの話

        皆さんにはなんだか記憶に残っている、印象深い店員さんはいますか? 今日は私の忘れられない店員さんのお話をしたいとおもいます。 ​​​​​​​​​​​​​新宿歌舞伎町の珈琲店 ある日、PC作業をする場所を探していた私は、以前友人におすすめされていた「コスパの良い」珈琲店を見つけ、入ることにしました。 その珈琲店はギラギラした新宿歌舞伎町のアーケード看板のすぐ横にあり、一つのビルの1~3階までを使っていました。 恐る恐る中に入ると感じの良いマスター風の店員さんが柔らかい

        • コラム#5 水炊き屋の供養からSDGsを考えたときの話

          焼小焼だ大漁(たいりょう)だ。 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。 浜(はま)はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万(なんまん)の 鰮(いわし)のとむらい するだろう。 (与田凖一 (1984)『金子みすゞ全集』JULA出版局 より)​​​​​​​ ・ この詩を小学生の頃知った時、いきなり自分が魚の立場になった気がして、視点がひっくり返ったような衝撃がありました。 海の中の魚達が頭に浮かび、怖いような悲しいような、ごめんなさいというような、複雑な気

        言葉は伝わらないからこそ意味がある

          コラム#4 レシピ信者(ちゃんと作らなきゃ、からの解放)

          「鶏肉と夏野菜のカチャトーラ」 カチャトーラは「猟師風の」という意味で、猟師が狩ってきた獲物(鶏肉やウサギ肉)を、たっぷりの適当な野菜と一緒に煮たことから始まった、イタリアの家庭で食べられている煮物の一つです。 我が家では、夏の時期に必ず食卓に上る定番メニューで、自宅の傍の畑でとれる野菜を使った元気が出る味のソースは、私の大好物の一つでした。 ​​​​​​​ ・ 社会人になり上京した年の夏、連休中に暇をしていた私は、 ついにそのメニューを自分で作ることにしました。

          コラム#4 レシピ信者(ちゃんと作らなきゃ、からの解放)

          コラム#3 ホーチミンの道端で現地のおじちゃんと甘すぎるベトナムコーヒーを飲んだ時の記憶

          オリーブオイルで焼いたニンニクの香りをかぐと 南イタリアを旅した時のにんにくたっぷりのパスタを思い出したり。 山形の芋煮を食べればほっとしたり。 西京焼きを食べれば関西人のルームメイトを思いだしたり。 記憶と味ってすごく強く結びついていると思います。 強烈な甘さのベトナムコーヒー大久保駅のベトナム料理屋さんに行ったときの話です。 ランチの最後にベトナムコーヒーを頼む事になりました。 ベトナムのコーヒーは、深煎り豆をフランス式フィルターで抽出し、 大量の練乳を加

          コラム#3 ホーチミンの道端で現地のおじちゃんと甘すぎるベトナムコーヒーを飲んだ時の記憶

          コラム#2 悲しみの南蛮漬け

          「悲しみの南蛮漬け」真っ白な壁に点々とついた黄色い油の跡を見ながら今日も試食をする。 テーブルにはピンセットで丁寧に骨を抜いた鯵の南蛮漬け。 確かに味付けは美味しい。 美味しいけれど、衣のぼそぼそした舌触りが妙に気になって、 美味しいものを食べたときの脳内ホルモンが全然出てこない。 味が舌先で完結して、全身に伝わってこない。 せっかくの料理を目の前にして、 なんだか心にぽっかりと穴が開いたみたいな悔しさと共に今日も試食をする。 完璧なはずの学校のレシピを、

          コラム#2 悲しみの南蛮漬け

          コラム#1 人が宿った穂高のごはん

          2019年の春、長野の安曇野にある穂高療生園というリトリート施設でゴールデンウィークを過ごしたことがありました。 Retreat(リトリート)は「退去・隠居・避難」という意味で、普段の忙しい生活から少し離れて、自分自身をリラックスさせる場所(や休日)というニュアンスで使われています。 ・ 長野自動車道安曇野インターから南アルプスを目の前に暫く車を走らせると、手作りの立て看板が施設の場所を知らせてくれます。 松林に囲まれた木造平屋建ての「里の家」、道路を挟んで向かいには

          コラム#1 人が宿った穂高のごはん

          28歳で死にかけて、直観で生きることにした私の現在地(2020.10)

          私がやろうとしてる事は、 まだまだ上手く言葉にできないけど。 このページではなぜ食の道に進むことになったのについてちょっと思い出しながら書いてみようと思う。 2年前に死にかけた話全てのきっかけは2018年の10月、私は死にかけていた。 ある日突然検診を受けていた病院から電話があり、命の危険がある大きな病気にかかっていたことが分かったのだ。 それまで、特に大きなけがも病気もなかった私にとってそれはあまりにも突然すぎる出来事だった。 忘れもしない良く晴れた秋の日、病院の帰

          28歳で死にかけて、直観で生きることにした私の現在地(2020.10)