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わたしという存在

ただ在る。

ただ生命体として、ここに存在する。

たくさんの元素が入れ替わる中で、

宇宙の地球の日本の、今ここに偶然にも存在しているだけの。

ただそれだけのわたし。




「私は感じることができる。」


ある日の木漏れ日に心震え、誰かの歌声に癒され

言葉にできない気持ちに涙し、

誰かのぬくもりに顔をうずめることもある。



”私はあなただし、あなたは私で、わたしたちは宇宙”



呼吸して、自然と一体となり、全てを感じられる。




「私は考えることができる。」

カコを悔やむし、明日を不安に思う。

未来にわくわくして、あの日を懐かしむ。



善く生きたいと願いながらも、そうじゃない時の方が多いけど。それでも善く生きようと必死になって生きている。

朝早く起きなきゃと思いながら、今日も二度寝する。


自然と温泉と動物が好きなただの31歳の、これがわたし。

このカラダでこの世界を生き抜いている。これがわたし。




あなたがいて、それから私がいる。

私がいて、それからあなたがいる。


永遠につながれないことを知りながら、それでも手をつなぐ。









なんで私は考えることができるのだろう。

なんで私は感じることができるのだろう。







希望に涙し、愛の言葉を書きつらね、

それでも足りないと思いながらも伝えたい。



この世界。このあたたかな世界。



生きててよかった。





・脳科学者 ジルボルトテイラーの話を聞いていて感じたこと/最近思っていたことをつらつらと書いてみた。

テイラー博士が経験した左脳の停止。

人の”自我”がなくなるという経験は、認識の枠を取っ払い、この世界を別の視点から捉えるきっかけになった。

それは自我がないという意味で”わたしはあなたで、あなたはわたしで、わたしたちは宇宙”みたいな感覚なのかなと思った。

そして、博士はそこに幸福や平和を見つけたと言っていました。

(この博士の話は、映画「エヴァンゲリオン」のアニメ版のラストシーン、自我がなくなり、みんなが一体になったサードインパクト後の世界を私は思い浮かべてしまう。笑)

そしてこの境地は、瞑想の”いまここ”の境地に近いのかなと勝手に解釈している。
それは自分以外のものと”つながる”感覚にも通ずる。

難しいことはさておいて、
今この自分として確かに生きているので、のびのびと自由に感じて考えて、右脳も左脳も両方大切にしながら、この世界を味わい尽くしたい。というのが私の願い
🤲

だって、どうせ生まれたんだからそのほうが楽しそうだから。


あとは、やっぱり人智を超えたものや、人の認識の枠を超えたある意味”ありのまま”に近い世界をもっと知りたいという好奇心。それは科学的に知る事もそうだし、自分の内面から湧き上がる感覚を観察したいという気持ちでもある。

瞑想が流行っているのも、同じような感覚を持つ人が増えているということなのかもなと思う。

わたしは科学的に証明されていないことを信じるのが苦手な方かもしれない。それは多くの人がそうなのかもしれない。目に見えないものはないと思えるし、今認識している自分の”意識”がすべてだと思えるから。
でもよく考えたら、科学的にわかる事も一握りだし、人が捉えられるのも一握りで、さらにそのうちのほんのすこしが意識によって認識できている。

宇宙に関する最新の研究では私たちが認識できる、いわゆる普通の「物体」というのは、宇宙のうちの約5%にしか過ぎない*https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6116

よく考えたら当たり前なんだけど。まだまだ世界は私達が知らないことだらけで、それをexploreしたいし、そうしたら何かの気づきがあるんじゃないか、と思ったり。

まずは自分の感覚をもっともっと
よく見ていくことをやってみたい。
そうしたら、何か発見があって面白いだろうな。

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