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私が怒らなくて済むのは私が優しいからではない

ここしばらく、1つの問題が進まずにいる。それは、引っ越し。つい昨日見送った弟は、私の引っ越しを手伝うためにドイツの滞在期間を延長してくれていた。

引っ越しが思わず遅れていることに、私はいまのところ怒りなどを感じていない。むしろ、引っ越しを検討していた頃のほうがよっぽど精神的に不安定で、家族やコーチングなどで話を聞いてもらっていた。

それで、私は引っ越しがいつになるのか、いまのところ身を任せている。近々一時帰国をするし、その前に引っ越しが終わればそれに越したことはないのだけど、まあいいかと身を任せている。

引っ越しができないことに、私は怒ったり悲しんだりしていない。だけどこれは、私が優しいからでも人格ができているからでもない。


コーチングと私と怒り


私はライフコーチとしてお仕事をしている。

ライフコーチングというものを学んで、私は自分の感情を知った。

会社員として働いていた頃には抑えこんでいた感情というものを解放したり、自分の感情を味わうようになったりした。

そのうえで、すべてのことは私に必要だから起きるというマインドになったことで、何かに怒ることが減った。

感情を正直に受けとり味わうようになって、だけど怒ることは減ったということまでを含めて、コーチングによって私の感情には大きく変化が起きたと思っている。


私が優しいから怒らないのではない


いま遅れている引っ越しのことを、私は特に怒っていない。

けれど、先述したことに矛盾するようだけど、今回の「怒っていない」は私の内側だけの問題ではないと気がついた。

というのも、私が引っ越せないことに、私よりも怒ってくれている人の存在に気がついた。そういえばずっとその態度でいてくれて、私を守ろうとしてくれていることに。

私が今回怒ってないのは、私が優しいからでも人格ができているからでもなければ、コーチングがどうのということでもなくて、単に「私よりも怒ってくれている人がいるから」なのだと気づいた。長らく気がつかなかった。

私よりも怒ってくれる誰かがいなかったら、私はきっともやもやしていたと思う。周りの人たちが「まあそんなもんだよ、待とうよ」な態度を軒並み取ってきたとしたら、私は「何それ?」と荒れたと思う。

私よりも怒ってくれる誰かがいるとき、私は「まあそんなもんだよ、待とうよ」となれるのだと思った。私が怒らずに済んでいるのは、私が優しいからではなかった。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️