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私がお酒を飲まない理由を、あなたに説明する義務は、ない。

お酒を飲まなくなって、1年以上経った。

ぜったいに、何があっても飲まないわけではない。気分がのれば、飲むことにしている。

でも、正直私にとって、アルコールは必要がない。

アルコールがないほうが私らしくいられるし、翌日に残るじんわりとした体調の悪さを受け入れることもなくなる。


でも、世の中には「飲めるのに飲まないなんておかしい」と思う人が一定数いる。この期間で実感した。

それで、「聞けば理由を説明してくれる」「その説明を自分が”評価”する」と思っている人がいる。それも、無意識レベルでこれを信じている。

私はこれに違和感がある。そして、この視線はすっごく不快なのだ。


説明は、したかったらする


お酒を飲まない理由は、別に話せなくはない。理由は1つということもないから、場に合わせて使い分けることもできる。

社会人をそれなりに長くやっているから、もうこれくらいの対応はできる。


でも、説明をもらえるということは、当たり前の権利ではない。

関係性があって、私が相手の方に余計な気遣いをさせたくないと思ったら、聞かれる前に自分から話す。

そう思わなければ「お酒は飲まないんです」で済ませたいし、それ以上に踏み込まれたくはない。

だけど、それができないことが割とある。同じ人に繰り返し聞かれることもある。すごく不快。

説明は、したかったら私からする。


お酒を飲まない理由を、説明する義務は、ない。


そもそもお酒を飲むか飲まないかは自由に選択できることだから、私が説明をする義務はない。

でも、聞いてくる人がいる。理由を「評価する」という視点に立ちながら。


お酒を飲まなくなってから、「お酒をどれだけ飲むか」の話も嫌いになってしまった。「評価」と「虚勢」でしかないように思えて。

たくさん飲めることの何が偉いんだろう。飲める・飲めない・飲まないに、優劣は何もない。


だけど、1つ自戒もある。

私がお酒をたくさん飲んでいた頃、「今日は飲みません」とか「お酒を飲みません」という人に、私は「なんで飲まないの?」と聞く側だったと思う。

「思う」と書いたのは、これが当たり前のコミュニケーションで、私が聞いていたのか横の誰かが聞いていたのかの区別がつかないから。

それくらい当たり前に誰かから発せられていた言葉で、その度に相手の誰かには心を使わせてしまっていたかもしれない。

自分がその位置立ってみて、初めてこのモヤモヤに気づいた。きっと、そんなことはまだまだたくさんあるんだよな。


今日の夕飯は、ノンアルビールを飲むことにしている。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️