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自分への許可①「闇を受け入れていい」

こんにちは。
ライフストーリー インタビュアー/心理カウンセラーの 真中愛です。


さて、ブログの趣向性というかカラーというかがなかなか定まらないかんじなのですが。

私は実にさまざまなことを自分に禁止してきた人間です。
(修行僧ともいう)(M気質ともいう)(それだけ欲深いということでもある)
そんなわけで、シリーズものとして「自分への許可」というテーマで書いてみようかなと思います。


根本さんのお弟子になって、「闇」について考えるようになりました。

いきなり嘘を言いました。お弟子になってからじゃないですね。ずっと多かれ少なかれ考えてきました。
だから私にとっては親しみのあるテーマです。手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいつでもあって、その感触にかすかな安堵や喜びすら感じるような。
つまり「闇」は私にとってとても親和性があるということです。

たとえば、私は幼いころから加害者心理に興味がありました。
おそらく「加害者」という言葉も知らなかったころから。
ニュースで耳にする事件のおそろしさに震え上がりながらも、「なにが犯罪を生むのだろう」というおぼろげな、それでいて真摯な疑問は、ずっと加害者に向けたものだったと思います。
それを決定づけ、またはっきりと自覚を持って接するきっかけとなったのは「地下鉄サリン事件(1995年)」でした。私が二十歳になる直前に起こった事件です。

想像を絶する被害規模と加害側の組織規模、今まで私が知るどんな犯罪にもない異常性。呆然となりながらも、これまた当時ぼんやりと興味を抱いていた「宗教」(オウムが宗教かどうかはさておき)とのリンクとも相まって、闇の世界、それは社会的に善とか悪とか言われているものなんてぶっちぎりで関係のない、両者のものすごいキワにある、あるいは普遍性のあるものなんじゃないか?というような畏怖を抱きました。
同時に、どうしようもないくらいに興味をそそられている自分も感じました。
あこがれ、と言ってもいいと思います。


そんな「闇へのあこがれ」を密かに抱えながらも、私は長年デフォルト設定していた「優等生」という世を忍ばない仮の姿でものごとに取り組み、振る舞い、という人生をずっと送ってきました。

一方で、闇へのあこがれゆえにさまざまな情報や知識を仕入れ、その壮絶な仮想世界にしばし漂うのですが、ふと我に返って「優等生」な姿を見たときに、そんな自分をなんとも薄っぺらく感じたのです。
それはそれは強烈な劣等感を生むことになりました。


かと言って、闇の世界に自らを投じるのは、やっぱりこわい。
実生活においても、自己内面の葛藤においても、なんとも中途半端な形でのチラ見に終始し、片足の、親指の爪はんぶんくらいをちょん、と浸すという形でしか関わってきませんでした。
そんな自分の度量のなさが嫌だったし、どうしようもないチキンだと思っていたし、なにより
「私は闇を受け入れる器のないちっぽけな人間」
なのだと思ってきました。
そのことが余計に、闇に向かうことへのおそれを抱かせました。


お弟子になったことを機に「闇」について改めて考えました。
正確には、「心の闇」との向き合い方です。
闇はこわい。心の闇も、もちろんこわい。
そう思いました。やっぱり私にはできない、そんな度量はない、と。
でも、なにがこわいの?なんでこわいの?
その「こわい」という感情と向き合っていきました。少しずつ少しずつ、あらゆる角度から紐解いてゆきました。


「こわい」に隠されていた、本当の思い。奥から出てきたのは、「闇を受け入れたい」という確固とした願望でした。
やっぱり私はずっと、自らの身を挺してそこに関わりたかったのです。

そしてこの「闇を受け入れる」ということも、(お得意の)自分に禁じていたんだ、ということが分かりました。
理由は、やっぱり。げんなり(言わない!!笑)。
「母」です。


私が優等生であることを望んできた母。
がんばり屋の母。人の目が気になっちゃう母。ちょっぴり世間知らずの母。そしてなにより、私を深く愛し、心根がとっても優しく、善人の母。
母は「闇をおそれる」人間です。
というか、「闇?なにそれ?」「闇とは、遠い遠いところにある世界。私や、私の愛する人たちには一切関係のない世界」
そんなかんじなんですね。

そんな母に「私、闇に興味しんしん!」なんて言えないわけです。
ましてやそこに向かうことや、自ら受け入れてがっつり対峙することなんてできないのです。
母を悲しませることになるから。
母がその存在すら認めない世界へ行くことになるから。
母を愛するがゆえに、母の忌み嫌う闇の世界に関わることに遠慮して、ここでも自分の望みを封印していたのです。


「闇を受け入れていい」
カウンセラーになるにあたり、そのことを自分に許可することができました。
「闇を受け入れていい」
そう自分に向けて許してあげた途端、底のほうから、力強いエネルギーがむくむくと湧いてくるのがわかりました。
それは、自分が本当にはいかに闇を受け入れたかったかのかを教えてくれました。

私はこの身で闇を受け入れて、深く深く分け入って、その先にある光を、自分の目で見てみたいのです。
目の前に座ってくださった方と一緒に。


同時に、私はどうして今まで自分がいわゆる「闇落ち」せずに済んできたかを知りました。
それは母の愛すべき気質と、とびきりの善人であったこと、その母が私を深く愛していたおかげです。
そしてそんな母を悲しませたくないという、私自身の母への深い愛のおかげです。
そのどちらも必要だった。そうでなければ推して知るべし。私には闇落ち素質がばっちり備わっているわけですから。

ありがとう、お母さん。
ありがとう、今までのじぶん。


これから、カウンセラーという安全な立場と場所で闇を受け入れられること、多くの方々と一緒にその先の光を見ることができること。
私は心から幸せに思います。


■真中 愛【ライフストーリー インタビュー/カウンセリング】

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