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旅先でなんにもしなかったからみつめたもの。フランクフルト@ドイツ(海外遊学Day154)

こんにちは。
おもちです。

大学4回生になる前に1年休学して、
約10ヶ月で29か国を訪れた、
当時の日記です。

特技も取柄も特になく平凡ポジティブな私のひとりごと。
読んでくれると喜びます。


2015年9月27日(日)

宿を朝10時にチェックアウトしてから、

21:30発のバスまで、なにをするか。


…なんもしない。

なんもしません!!!!

重たい全荷物を抱えたまま、歩いては座って歩いては座ってを繰り返していました。

てくてく

なんと。

おもちさんの供述によると、

「コインロッカーに5ユーロも使ってなるものか」だそうです。

あほです!!!

重たい荷物、コロコロひこずりながらひたすら歩くおもち。

途中で休憩して、座って安いパンを食べていた。

ぼーっとしてたその目の先に、物乞いの男性が座った。

しばらくパンを食べながら、手紙を書きながら、視界にはいるその男性を見ていた。

結構長い時間そこにいたから、

ずっと、その場でその人の人生を見ているような感覚になった。


私はいままで、いろんな国で、

何十人、もしかしたら百人以上の

物乞いの人とすれ違ってきたけれど、

わざわざ立ち止まって、財布をあける勇気はなかった。

勇気がなかったというか、完全に布施をすることが他人事だった。(地元のいわゆる社会保障システムであり、旅人には関係がないと)


しばらくしてふと見た。

きらきらの笑顔で、お金を優しく置く女性。

本当に美しかった。

他にも、一度通り過ぎたけど、立ち止まって、財布をあけて、お金を渡しに戻ってくる人もいた。

それらすべてが、完全な、善意だった。

日本では物乞いをする人を見かけることなどほぼなくて、

海外を旅するまで、そんな善意を目の当たりにすることってなかった。

他人を。自分よりか、弱い他人を意識すること。

もちろん、海外でも、みんながみんなお金を置いていくわけではないけど、

どこかでだれかが、だれかのために、

ひとつ行動をおこしたことが、またほかのだれかの善意を生むきっかけになっているんだろうと思った。


中古のくるみ割り人形

しなくちゃいけない

とか

しなくていい

とか

したらだめ!

とか

いろんな意見を見かけては、

その意見に染まりそうになる自分もいたけれど。

自分のこころが選べばいいのだと思う。

お布施で今日を生き延びている人がいるのは事実だし、

お布施はしてあげるものというより、「させてもらうもの」という認識が根付いている国もある。

言葉を強く、主張したい人はいるけれど、きっぱりと正解はない。

きらきらの笑顔で布施したあの女性が美しすぎて、

私の目とこころに焼き付いた。

フランクフルトに何しにきたのかと、

他人に聞かれたら何も答えられないけれど、

私にとって、「観光」しない旅行も

ほんとうに大切なものだと、自分の中で腑に落ちている。

21:30発のバスで、パリ@フランスへいきます。

海外遊学Day154

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