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ようやく落ち着いてきた。

工場を辞めて約2ヶ月になる。

時間の大切さを日々実感する。

長いこと居た工場を俺は辞めたんだよなって思うんよね。17年もいた所だし、すぐに忘れることはどうやら無理だ。潜在意識の中にあるのが分かる。何となくだけど。
時計を見るたびに、「10時か。あ、そろそろ休憩の時間だ」とか「12時か。もうすぐ昼の休憩時間か」なんて考えてしまう。
もう全く関係ないのにね。

でも、辞める前に工場の専務から「次の道を進んでいけ」って言われたことが今も胸の中に残ってる。
自分の進むべき道がある。
これからは直感と、潜在意識とかいうものに従って生きていく。
そもそも工場に勤めようって思っていた動機も「ここでなら人と話さなくていい」って思ったから、そういう動機だった。でも、現実は違ってた。
お互いの意思疎通を求められたし、作業の確認のために声かけする必要が出てくる場面に何度も遭遇する羽目を味わってきた。
「思ってたのと全然違うじゃん」
これが本音。コミュニケーションを嫌が応でも求められる。だけど、働く現場でコミュニケーション能力を発揮できずにいた。発揮するどころか、小言を言われたり、くさされたり、一緒に作業する人のやる気の無さもそれに拍車をかけてた。
とにかく、喋らない。

でも、もう終わったんだよね。そういうの。

ひょっとしたら、そこで感じたもの、パワハラとかって、他の場所に行ったら「あれ?」って思う瞬間に出くわしそう。
いかに今までいた環境が劣悪だったかを思い知りそう。

引き寄せなんだろうな。こういうのって。
その当時の自分の波動数と同等のものを俺自身が引き寄せてた。それだったのかもしれない。
「喋らなくていい」
「人とあまり関わらなくていい」
そんな意識で気持ちで考えでいたのをそっくりそのまま俺が引き寄せて、そして波動数が変化していっても、その当時の自分の波動数と同等のものを常に引き寄せていた。そんな感じだったのかもしれない。それに工場自体の波動も悪かったと思う。時々それは感じてはいた。外観がボロボロだけど、修復することはないし、機械も朽ち果てていってたけど修復することは無かった。それに、報連相する、出来るような環境でもなかったしね。
完全なる縦社会。家族経営ならではの経営陣が優先されることが多かった。

従業員は置き去り。これっぽっちも考えられていなかったのは働いてて常に感じてた。だから有給も与えられることがなかったんだろうな。
労基違反だけどね。でも、もういいや。泣き寝入りってやつだけど、仕方ない。今更、工場と対峙して争うとかしたくないし、揉め事は御免だ。それに・・・もうそこの従業員ではないのだしね。
もういいんだ。終わった。

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