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合気道とは頑張りを放棄する道

1.頑張り大国ニッポン

日本人は頑張ることが好きな人、多い気がします。

頑張ることが美徳と思われてますよね。

私も先生や親に良く頑張れと言われた記憶があります。

ただ、頑張ること自体に意味ってあるんですかね?

ここで言う、頑張るとは、
自分の意志に反して、嫌なことや苦しいことをすると定義します。

苦しい思いをして、仮に結果が伴わなくても

「頑張ったからいいんだよ」ってなるんでしょうか?

頑張るって動作は自然じゃないですからね。

合気道も同じです。頑張ったら先ず技はかかりません。

どんなに頑張っても頑張っても、力では相手を動かすことは出来ません。

観点は飽くまで合理的な動きをしているか否かです。

そこに頑張りは不要なのです。

生きてく上では、時には頑張ることが重要なのかもしれませんが、
合気道に頑張りは不要です。

むしろ、合気道にとって頑張りは阻害要因でしかありません。

2.なんのために頑張るのか

そもそも、何のために頑張るんですかね?

会社のため?、自分のため?、家族のため?

頑張ること自体を否定はしませんが、
先述の通り頑張ることは自然ではありません。

頑張ること、そのものに達成感を感じていたら、それは危険な思考です。

いずれ、身体を壊すことになります。

先述の通り、頑張るということは本来、不自然な行いだからです。

不自然な行いを繰り返していたら、そりゃ故障しますよね。

それに、頑張ったから良いってロジックも良く分かりませんよね?

例えば、合気道で相手に技はかからなかったけど、

一生懸命、頑張ったから良いよねって、私は???ってなりますけどね(笑)

合気道で技を上手くかけるには、逆に頑張りを捨てることです。

楽を追い求めることです。

楽して同じ結果に辿りつけるなら、楽した方が良くないですか?

それに、実際、技をかけてみると分かりますが、

頑張らなければ技も楽に極まるし、相手に不快な思いもさせません。

大切なのは頑張ることではなくて、
どうやったら効率的に物事を成し遂げられるか。

その解決策を模索することに時間を割くべきです。

もし、仮にその策を見出すことを頑張ると表現するのであれば、

その場合の頑張りを否定はしません。

私が言ってるダメな頑張りとは、無策に労力を注ぎ込み、
頑張ること自体が目的化している時です。

3.頑張りを捨ててみる

日本人は楽をすることに、やたら抵抗を感じやすい気がします。

同じ時間で、同じ結果を出すとしたら、注ぎ込む労力は少ない方が良いですよね?

時代はどんどん便利になって、プログラム一つとっても0から作る必要はありません。

フレームワークやAPIなど既に先人が作った財産があります。

つまり、科学技術が発達していくにつれ、楽に物事を成し遂げられるようになりました。

ただ、最近の若い世代Z世代は、そうでもない気がします。

理由として情報社会とスマホでしょうかね。

コスパ・タイパと言われるように時間や費用対効果に対する関心が強くなった結果なのかなと思っています。

武道も同じです。厳しい修行をしなければいけない、というのは大きな誤解です。

如何に楽を追及するかです。

それが人間にとって一番、負担が少なく、自然体だからです。

合気道の稽古を通じて、頑張ること自体に意味はないと実践を通じて理解できます。

もし、頑張ることに疲れてしまった人がいたら、

今までの自分を褒めてあげて、もう頑張らなくていいんだよと言ってあげてることが重要です。

自然体で生きることができれば、もっと人々の精神も豊かになるはずです。

それを、示す上でも合気道は有効なツールであると私は感じています。

今回は、合気道とは頑張らない道という話でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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