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合気道とは孤独を悟る道

1.人間は分かり合えない生き物

なんだか、大分、パンチの強いタイトルになってますね(笑)

ただ、私は人間は結局、孤独な生き物だと思っています。

人と人はどこまで行っても分かり合うことはできないと思ってるからです。

ただし、だからと言って、何も摩擦を生まずに当たり障りのない人生を歩む

ことが良いとは微塵も思っていません。

しかし、人と人はそもそも分かり合えないという起点に立つだけで、

随分と世の中の見え方が変わってきます。

また、多くの人がその起点に立つことができれば

意味のない陰口合戦や不毛な争いも減ってくのかなと思うんです。

その分かり合いないという起点から如何にしてお互いが歩み寄れるか、

その最大公約数を模索することが大切なんだろうと思うわけです。

ところが、現実はそうじゃないですよね。

社会人の方はとくにこの事実を痛感してると思います。

私の職場でも部署間の悪口とか普通にありますからね(笑)

あの部署は主体性がないんだよーとか
あそこは本当言われたことしかやらないんだよなー
とかとか(笑)

部署は部署なりの正義がありイデオロギーがあります。

その主体性がないとか言われてる部署も

またきっとよその悪口を言ってると思うんですよね(笑)

分かり合えないという事実はパートナーにも当てはまると思います。

その分かり合えないという起点にお互いが立たないと、

待ってるのは泥沼合戦です(笑)

なんで私の気持ちが分からないのよ!!とか半狂乱に陥るわけですよ。

まあ、離婚に至るのも無理ないですよね。

2.変われるのは自分だけ

合気道の面白いところは、相手に一切の変化を強要しない所です。

がしかし、結果的に相手は崩れてしまうんです。

それはなぜかと言えば、相手に変化を強要してないからです。

つまり、相手は何も強制されていないので気付く術がないんです。

翁先生や塩田館長に崩されたお弟子さん達を見ると皆さん笑ってますよね。

それは何かを強いられてないので、嫌な気持ちの起きようがないんです。

相手が嫌な気分にならないということは、当然、自分も気分よくいられるわけです。

とは言え、これを日常に活かすとなるとハードルは一気にあがりますよ(笑)

自分を変えるべきだと分かっていても、

自分が気分よくいられるかは結局、自分の捉え方次第ですからね。

3.相手を尊重するとは

相手を尊重するということは違いを認めるということです。

自分と違う人間を排除するのではなく、

違っていていい、むしろ違って当たり前だと思うことです。

先程の合気道の例の通り、相手には変化を強要しないんですね。

学校ではよく先生が皆と仲良くしましょう、とか言いますが

私は無理だと思っています(笑)

もちろん、仲良くなれれば素晴らしいですし、

それに越したことはありませんよ。

ただ、仲良くなれないケースも多分にあるので、

そういった相手、つまり自分とは価値観が合わない相手を

認め合えることの方がよっぽど大切だと思います。

そこで、無理に仲良くしよう!!などと吹聴すると

結果的にそれが分断を生む可能性があると思うんです。

仲良くなれないあいつが悪いって思考に陥り易くなってしまうので。

個人の時代と言われる昨今、違いを認めるという考えがより浸透して

いけば真の意味で多様性も広がっていくのかなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。





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