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【コロナは、ニューノーマル】…胸すわって進むスウェーデンに「武士道」の世界観を垣間見る。

見えないウィルスにおびえ、ウィルスの前には網の目のように粗いマスク😷をし、これまでとは段違いに副反応リスクの高いワ◯チンの接種💉を重ね…

訳の分からない恐怖を煽り続ける情報に振り回され📺、度重ねて発令され続ける補償なき緊急事態宣言等📣👮‍♂️により、不自由な暮らしを強いられるも、それを甘受し、真綿で首を締められ続けるような生活を選ぶのか?

それとも、生活(食生活・生活習慣)さらに生き方を見直し、肚を括って「真の共生」の道を歩むのか?

私たちが選ぶべき道は、明らかに後者だと思います。

コロナは、ニューノーマル

スウェーデンの選択について、報道ステーションで取り上げられており、非常に納得の行く選択、そして見解が示されていました。


興味深かった、「死生観」の違い。

「死」を日常のものとして受け入れる。

「どのように生きるのか?」という選択の自由は、絶対に譲らない。

その選択に対する責任は自らが負う。

人のせいにしない。

短い編集でしたが、この映像を見て「『葉隠』のクニ、ニッポン。その名が廃る」と感じた次第です。


武士道の世界観

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。
別に仔細なし。胸すわって進むなり

図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。
我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。

若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。
図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。
これが武道に丈夫なり。

毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、
常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、
一生落度なく、家職を仕果すべきなり。

~『葉隠』山本常朝~

言葉を選ばずに言えば…

日本人は、一体いつから、見苦しいほどまでに「生」に執着し始めてしまったのだろう。

コロナ禍を通じて感じること、頭をよぎるのは、このことです。

自らが助かる為に、未来のある子供に「副反応リスク」が高く、また「長期的な接種リスク」について不明確なワクチンを接種させ「感染防御の壁を築く」という何とも浅ましい考え方を見聞きし、吐き気のする想いです。

「お年寄りにやさしい社会」とは、完全に異なる考え方であり、まったくもって理解できない考え方であり、武士道のクニの名が廃るとすら感じる次第です。

ワクチン接種により「感染しない」という考え方を前提とするならば、むしろ、「未来ある子供たちの防波堤・城壁となろう」という姿勢こそ、あるべき姿勢ではないでしょうか。


思う心にまさる親心

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親思ふ 心にまさる親心
けふの音づれ 何ときくらん
寅二郎(吉田松陰)

松陰先生は、今の我が国の有様を見て、さぞや驚き、嘆いていらっしゃることでしょう。

最後までご覧いただき誠にありがとうございます。 引き続き、ご愛顧いただければ幸いです。