見出し画像

昔の記憶が活きていく未来

大人になって年月を早く感じるようになった、それは毎日が新幹線の様に猛スピードで過ぎていく。正月がたった数日前の時間間隔に、温かくなった風が春の季節を教えてくれた。

父親が亡くなってもう4ヶ月が経とうとしている。諸々の事務処理やお骨の埋葬場所など初めての体験が多く、人が1人居なくなる事がどれほど大きなものか思い知らされる。入院しながら1人で過ごしたのであえて葬式は行わなかった。私と上の弟家族で弔う形にした。私には1つ下の弟と9つ下の弟の3人兄弟、それぞれ家庭を持っている今ではほとんど連絡を取っておらず母から近況を聞くのが日常だった。話好きの女性と違って、男性は多くを語らないそれが普通とさえ思っていた私には取るに足らない事。父が亡くなって密に連絡を取るようになった。


母親に暴力を振るっていた父。子供に手を挙げなかったとはいえ記憶は鮮明に残っている。あざだらけになっている母を見てどうしようもない怒りと悔しさでいっぱいになった。
母は、
「お母さんが悪いんだからしょうがない」と決して責めなかった。
母の気持ちも当時の私には意味が分からなかった。いつも父の顔色を窺って神経を研ぎ澄ませる生活、どの言葉・どの態度が父をキレさせるか分からないから・・・
”今日は平和だった”
父が仕事に出るとほっと肩をなでおろす、ひっそりと生活するこの家には居場所なんてなかった。

心の奥に深く刻まれているのは私だけではない、弟たちだって同じ。1人1人消えない傷を今でも抱えている。自分の感情を抑えるだけで精一杯だったあの頃。コップに注いだ水があふれるように私の心も醜い感情が溢れそうになるのをただただ塞いでいたにすぎない、それぞれが現実を見ないよう背けていた。

父の死をきっかけに私たち姉弟は当時の事を少し話せるようになった。死んだ人を悪く言うのはいけない事だと分かっていても出てくるのは皮肉な言葉ばかり。忘れたくても忘れられないのは良い思い出ではないんだ。
それでも私たちが出した結論は、「世界でたった1人の父親を供養していこう。」だった。どうしようもなく自分勝手だったあの人に唯一できる事。

昨日予定していた納骨はコロナの影響で延期になった。父のお骨は生前暮らしていた土地のお寺に預かってもらっている。骨になった後もタイミングが悪い父。人を傷つけたしっぺ返しはその何倍にもなって返ってくることを思い知らされた。

生きていると楽しいよりも辛い事の方が多い。どうにもならない事を人のせいにして傷つけるのは絶対してはいけない事だ。誰もが必死に歯を食いしばって生きている。父はそんな風に思えなかったのだろう。


わが父ながら、可哀そうな人生だったんだなと感じる。それでも私たちは未来を歩いていかないといけない。父の遺伝子が受け継がれている私たちは誰かを傷つけるのではなく、大切な人を守れる強さを備えなければ・・・

気を緩めてしまえばきっとあの人と同じ人生を歩んでしまうから。


どんな親に育てられたとしても、間違いと気づいた時点で軌道修正はできる。たびたびやってくる試練の場面に、一時の感情ではなく深い思考で冷静に見極められるよう感情のコントロールができる人になりたい。

父からの命がけの教訓を無駄にしないように

これからも大切な誰かと共に生きるために

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!