見出し画像

応募失格

 私はnoteの応募に三度挑戦したことがある。しかし、ライフネット生命✕note✕Voicyの『 #自分で選んでよかったこと 』をテーマにした投稿コンテストに関しては、どう考えても応募資格を満たしているとは思えないのだ。

 コンテスト主催者が『日々の生活のなかで、「選択」に迷うことはありませんか?』と問うているが、私は極めて楽観的で物事を深く考えない性格なので、選択に迷ったことがない。むしろ、選択肢が現れた瞬間に直感的に決めることが多い。そのため、応募作に多く見られる『感情の揺れ動き』や『葛藤』は、私にとってほとんど縁のないものだ。

 実際、私は過去に行き当たりばったりでカリフォルニアに二週間の観光旅行に行ったが、帰国するのが面倒になり、そのまま十八年間アメリカに住み続けたことがある。そして、日本に帰国した後は、海外が得意だと勘違いされ、中国やベトナムの仕事を引き受けることになった。普通ならここで『本当にこの仕事を選んでよいのか』と迷うべきところだが、私の場合は『迷わずに選択する』スタイルを貫いてきた。

 その結果、ASEAN諸国、インド、欧州、中東、北アフリカと、世界各地で仕事を続け、選択に悩むことは一度もなかった。私にとっては日本国外での生活が日常であり、現在仕事をしているアルジェリアや、モザンビークなどにも特に違和感はない。しかし、日本に住む大半の人がこの感覚に共感できるかというと、非常に難しいだろう。

 このコンテストに入選するためには、単なる体験談を超えて、読者を引き込む物語としての展開が重要だ。葛藤、選択、その結果というドラマチックな構成が求められるが、私の生き方にはそのような要素がほとんどない。むしろ、作為的にドラマを仕立てることが嫌いな私にとって、この種のストーリーテリングには強い違和感を覚える。

 だからこそ、私はこのコンテストに最も不適格な応募者であり、タイトルは太宰治の『人間失格』のパロディーで『応募失格』にしたのだ。しかし、今回、初めて『グランプリには興味がないが、ギフトカード10万円分は欲しい』という、noteで記事を書いている大多数と同じであろう葛藤に直面した。選択に迷ったことがない私にとって、この葛藤は新鮮である。

 しかも、その葛藤が生まれたのは、原稿締め切り当日のことだ。このタイミングで、テーマである『自分で選んでよかったこと』として、『コンテストに応募するか否か』の迷いと、最終的に応募を選んだ理由を書けば、入選する可能性もあるかもしれない。しかし、ここには一つのパラドックスがある。応募した瞬間には、まだその選択が良かったかどうかはわからないし、この記事を書いている時点では、まだ入稿していないという事実もある。

 それでも、私にとっての『選択』は、いつも直感に従った結果でしかない。だからこのコンテストへの応募も、良い結果になるかどうかを深く考えるよりも、『選んでしまった』こと自体を楽しんでいるのだ。

 そして、もしもこんな行き当たりばったりが功を奏するなら、それこそが私にとっての『自分で選んでよかった』の証明になるかもしれない。結果がどうであれ、この一風変わった選択が私らしさの象徴であり、それこそが私の選んだ生き方なのだ。

武智倫太郎

【自己解説】

シュレーディンガーの応募失格

 思考実験の『シュレーディンガーの応募失格』は、応募の成否が同時に存在する曖昧な状態を表現するものです。この実験は、私が書いたエッセイ『応募失格』を自ら解説する形で展開します。

思考実験の背景
 武智倫太郎のエッセイ『応募失格』は、選択に迷いを感じない著者が、テーマに適合しないと考えつつも応募を決断する過程を描いています。ここで注目すべき点は、応募が良い選択だったかどうかは応募後にしか判明しないというパラドックスです。この状況は、量子力学における『シュレーディンガーの猫』のパラドックスと類似しています。

シュレーディンガーの猫との比較
 シュレーディンガーの猫は、観測されるまで生と死が重なり合う状態を示す量子力学のパラドックスです。同様に、応募が『入選』するか『落選』するかは、結果が明らかになるまで同時に両方の状態にあると考えられます。この応募の状態は、『応募したことは確かだが、入選したかどうかは不明』という曖昧さを抱えています。

応募の成否が未定の状態
『シュレーディンガーの応募失格』では、以下のような状態が成り立ちます。

応募された瞬間:応募が入選しているか落選しているかはわかりません。結果が発表されるまでは、両方の状態が重なり合った曖昧な状態にあります。

応募後の観測:コンテストの結果が発表されることで、初めて応募が入選か落選かが確定します。この観測が行われるまでは、どちらの結果も可能性として存在し続けます。

深層にある選択の哲学
 エッセイの中で、著者は直感的に選択を行い、結果を深く考えないスタイルを貫いています。しかし、今回は一瞬の『葛藤』を経験し、応募の選択が自身にとって新たな体験となっています。この瞬間こそが『シュレーディンガーの応募失格』を生み出す鍵となっています。選択の本質が直感に依存しているがゆえに、選択の良し悪しが結果によってのみ確定するという不確定性が生じているのです。

結論
『シュレーディンガーの応募失格』は、応募そのものが入選と落選の両方を内包する状態を表現したユニークな思考実験です。このパラドックス的状況は、選択の哲学的な側面と、日常的な直感に基づく意思決定の矛盾を鮮やかに浮き彫りにしています。著者にとって、応募は『結果を問わず楽しむ』行為であり、この遊び心が選択の曖昧さを肯定的に捉えるスタンスにつながっています。

武智倫太郎

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?