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持続可能な成長を遠ざける官僚主義と国産エネルギーの幻想

 私は、MENA(中東・北アフリカ)からアフリカ南東部のモザンビークにかけて、環境・資源・エネルギー関連の多国籍企業の経営者を務めています。また、資源経済学者として、海外や日本の大学で招聘研究員も兼務しており、地質学、環境学、エネルギー学、経済学など、さまざまな分野の学者として紹介されることもあります。

 これは、私自身がプロフィールで特定の分野に限定せず自己紹介していることも一因ですが、日本の学者は専門分野が細分化されており、ゼネラリスト(広範な知識を持つ専門家)は軽視されがちです。しかし、SDGsのような地球規模の課題を考える際に重要なのは、視野の狭い専門家だけでなく、地政学や地経学の観点を取り入れる資源経済学者のようなゼネラリストです。

 資源産出国で事業を展開するゼネラリストの強みには、日本政府が主催または主導する、中東からアフリカにかけての産業振興や経済協力に関連する国際会議やイベントの枠組みを構築する能力も含まれます。私はこれまでに、以下のような中東やアフリカ諸国の国際会議のプログラム構成案を立案した経験があります。

TICAD(アフリカ開発会議)

開始年:1993年
開催周期:3~5年ごとに開催
対象地域:アフリカ全域
主な目的:アフリカ諸国の経済発展、持続可能な開発目標(SDGs)の推進、インフラ投資、ビジネス交流促進

日本アラブ経済フォーラム

開始年:2009年
開催周期:不定期だが、おおよそ2年ごと
対象地域:中東および北アフリカ
主な目的:アラブ諸国との経済連携強化、エネルギー資源の確保、技術協力の促進

日アフリカ貿易投資会議

開始年:2014年
開催周期:不定期(TICADの枠組みの一部としても開催される場合がある)
対象地域:アフリカ全域
主な目的:貿易関係の強化、投資機会の発掘、ビジネス交流の促進

日本政府や経済産業省などの官庁における最大の問題点

 このようなプログラムを作成する際には、相手国からのニーズを的確に把握し、その国が必要とする技術や資金を適切に提供しなければなりません。これができなければ、需要と供給のミスマッチが生じ、双方の国や企業に不満やストレスが生まれ、商機を逃すことになります。私のように相手国のニーズを理解している立場からは、相手国の必要に応じた技術や資金に関するプレゼンテーションをプログラムの枠組みとして調整しています。

 ところが、このプログラムの価値を損なっているのが、日本政府が掲げる『オールジャパン体制』や『夢の国産エネルギー』といったスローガンです。

 日本政府がこれらのスローガンを使い始めた背景には、エネルギー自給率の向上やエネルギー安全保障の確保を目指す政策があります。特に、1970年代のオイルショック以降、日本はエネルギー政策を再検討し、国産エネルギーの開発を重要課題としました。

オールジャパン体制の起源と問題点

『オールジャパン体制』という概念は、エネルギー技術やインフラの開発において、政府、企業、学術界、そして市民が一体となって取り組むことを強調するものです。このスローガンが特に注目されるようになったのは、2000年代に入ってからです。

 しかし、このオールジャパン体制の最大の問題点は、日本が過去に失敗してきた『護送船団方式』と同様の欠陥を持っていることです。一見すると、日本が一丸となって取り組む強力な体制のように見えますが、実際には、護送船団方式では最も遅い船に合わせてしか進められないという弱点があります。

この方式の失敗例は、以下のような事例で見られます。

1990年代のバブル崩壊と金融危機

 金融機関が一律に保護され、競争が抑制された結果、リスク管理が甘くなり、不良債権問題が深刻化。バブル崩壊後の金融危機の原因となり、山一證券や北海道拓殖銀行などの破綻が発生しました。

ゼネコンと公共事業依存

 建設業界が護送船団方式で保護され、非効率な企業が市場に残り続け、業界全体の競争力が低下しました。公共事業削減とともに、多くのゼネコンが経営危機に直面しました。

地方銀行の経営危機

 地方銀行が保護され続けた結果、地元経済の低迷や不良債権問題で経営が悪化。2003年の足利銀行の破綻がその典型例です。

 このように、護送船団方式がもたらす非効率性と競争力の欠如は、過去に繰り返された失敗から明らかです。現在のエネルギー政策においても、同じ過ちを繰り返さないためには、柔軟かつ実効性のある戦略が求められています。

日本水素ステーションネットワーク合同会社(JHyM)
1.設立の目的
関連企業によるオールジャパンでの協業により、水素ステーションの戦略的整備と効率的な運営を推進。(第1回再エネ・水素等関係閣僚会議における総理指示、及び水素基本戦略を踏まえたもの。)

経済産業省:カーボンニュートラル実現に向けた水素燃料電池車の普及について

夢の国産エネルギーの背景

『夢の国産エネルギー』という表現は、以下のような文脈で使われてきました。

一、バイオ燃料
 2000年代後半、バイオエタノールやバイオディーゼルといったバイオ燃料が『夢の国産エネルギー』として注目されました。しかし、日本には十分なバイオマス資源がなく、その需要を満たすためにバイオマス資源を海外から輸入し、国内で生産したものを『国産エネルギー』と称しています。

 実際には、海外で最終製品まで仕上げた方が環境負荷は圧倒的に低く、コストも安いのです。それにもかかわらず、日本ではバイオマス原料を輸入し、高価なエネルギーを投入して生産したものを国産エネルギーと呼んでいます。しかし、これを国産エネルギーと称するのは詭弁であり、寧ろ環境破壊を促進する行為です。

二、水素エネルギー
 近年、次世代エネルギーとして水素エネルギーが注目され、これも『夢の国産エネルギー』として位置付けられています。しかし、水素はエネルギーそのものではなく、大量の一次エネルギーを投入して生成されるエネルギーキャリアです。日本には水素を大量生産できる再生可能エネルギーが十分にないため、この水素も結局は海外からの輸入に頼らざるを得ず、国産エネルギーとは言えません。

三、メタンハイドレート
 2000年代以降、日本近海で発見されたメタンハイドレートは、将来的に国産エネルギー源として期待され、『夢のエネルギー』として報じられることが多くありました。メタンハイドレートの研究は20世紀後半から進められ、1990年代に入ってからはエネルギー総合工学研究所などで、非在来型天然ガスの一環として本格的に研究が開始されました。日本、カナダ、米国の共同で、1990年代後半にMackenzie Deltaにおいてメタンハイドレート層の掘削と技術確認が行われました。また、日本国内では、2013年に南海トラフでの海洋試掘に成功しましたが、その後の試掘や採算性の検証の結果、地滑り問題など技術的課題が残り、商業化へのハードルが高いことが判明しました。それにもかかわらず、日本政府は未だに『夢のエネルギー』としてメタンハイドレートを追い続けています。

 これらのキーワードは、エネルギー自給率の低さに対する危機感と、技術革新によってそれを克服したいという希望を象徴しています。しかし、どれほど精神論や画期的な技術革新に期待しても、現状の技術や経済条件では実現が難しいものもあります。

 さらに、政府主導の産官学連携を強調する際に『オールジャパン』という言葉が頻繁に使われますが、現実にはこの体制が必ずしも効果を発揮していない場面も多いです。特に、産官学が互いに責任を回避しがちな状況が問題となっています。もう少し詳しく説明すると、産業界は官僚の指導に従い事業を進めるため、問題が発生した場合、その責任は国や官僚にあると考えます。一方、官僚は『学者が言っていることだから大丈夫』として、政策立案の責任を学者に転嫁しがちです。そして学者は、官庁や独立行政法人からの研究助成金や企業からの委託研究に基づいて研究を行うため、研究成果に対する責任は、国や企業にあると考えることもあります。このように、三者がそれぞれの立場で責任を他に押し付ける構図では、連携が形骸化し、実効性のある政策が生まれにくいという問題が生じています。

 もちろん、全ての場面でこのような責任回避が行われているわけではなく、産官学が連携して成果を上げる例もありますが、こうした責任の押し付け合いが問題となるケースは少なくありません。

日本の若者にも見放された日本の官僚制度

 近年、日本の官僚キャリアを目指すための国家公務員総合職試験(旧国家I種試験)の受験者数が減少しており、2023年には入省後10年以内に辞職する官僚の数が過去最高を記録しました。この現象にはいくつかの要因があります。

 まず、官僚の仕事に対する魅力が低下していることが挙げられます。かつて官僚は日本の政策形成において重要な役割を果たしていましたが、近年では政治主導の傾向が強まり、官僚の意見が軽視される場面が増えています。その結果、やりがいを感じにくいという声が上がり、若い世代が官僚を目指す意欲が減退しています。これは前述のような、官僚主導の的外れな産業政策による不信感も背景にあります。また、政府からの指示で、物理的に実現不可能であると分かっている事業を、あたかも可能であるかのようにプレゼン資料や法案、マスタープランとして作成する徒労感が、モチベーションの低下につながっています。

 さらに、労働環境の厳しさも大きな要因です。長時間労働や激務に加え、給与面での魅力も相対的に低下しています。優秀な人材が民間企業やスタートアップに流れる傾向も強まっており、キャリア官僚としての魅力が失われています。

 また、官僚内部のセクショナリズム(縦割り意識)や政治家との利害関係も問題視されています。これにより、純粋に公務員としての使命感を持って働きたいと考える人にとっては、厳しい環境となっています。

 こうした状況を背景に、国家公務員総合職試験の受験者数が減少し、特にキャリア官僚を目指す若者が減っている現実が浮き彫りになっています。

モザンビークと日本の官僚主義の弊害

 官僚主義は多くの国で政策の安定性や専門性を保つために必要とされていますが、その硬直性が経済や社会発展の妨げとなることも少なくありません。モザンビークと日本という異なる背景を持つ国々においても、官僚主義が抱える共通の問題が存在します。本稿では、両国の官僚主義がどのように経済成長や社会発展に悪影響を及ぼしているかを探ります。

モザンビークの官僚主義の問題点

 モザンビークでは、インフラ整備や公共事業を通じて経済成長を促進する取り組みが進められてきました。しかし、多くのプロジェクトが『ホワイト・エレファント』と呼ばれる無用の長物となり、実質的な経済効果を生み出せていません。例えば、ナカラ空港やマプト・カテンベ橋などは、その豪華さとは裏腹にほとんど利用されておらず、莫大な費用が投じられています。このような状況の背景には、一部の官僚や政治家が私腹を肥やすために公共資金を浪費していることがあります。モザンビークでは、官僚主義が腐敗と結びつき、効率的な行政運営を妨げていることが明白です。

日本における官僚主義の影響

 日本では、官僚機構が政策立案と実行の中心に位置し、戦後から現在に至るまで政治を支配してきました。この官僚主導の体制は、経済の安定と発展を支えた一方で、特に公共事業において無駄な支出が続いています。日本の『コンクリート至上主義』ともいえる政策は、道路や橋梁、ダムなどのインフラ整備に莫大な予算を投じ、地方経済を支えるという名目で進められてきました。しかし、多くのインフラは過剰であり、実際には地域住民や経済に対する影響が限定的です。この結果、財政負担が増大し、地方自治体の財政赤字が深刻化しています。

両国に共通する問題

 モザンビークと日本の官僚主義に共通するのは、政策の立案や実行において柔軟性を欠き、非効率的なプロジェクトが推進され易いという点です。官僚主義は長期的な計画や専門知識に基づいた意思決定を可能にしますが、同時に硬直した組織体制がイノベーションや改革を阻害します。また、政治家と官僚の関係において、官僚が実質的な権力を握ることで、公共の利益よりも自らの利益を優先させることが問題となっています。

解決策と展望

 これらの問題に対処するためには、官僚機構の透明性を高め、公共プロジェクトにおけるコストと効果の徹底的な評価が求められます。モザンビークでは国際機関の協力を得て腐敗防止の取り組みが進められており、日本でも行政改革を通じて官僚の権限を見直す動きが進んでいます。長期的には、両国が持つ官僚の専門性と知識を活かしつつ、柔軟で効率的な政策運営を実現することが求められます。

結論

 モザンビークと日本における官僚主義の弊害は、両国の経済発展と社会的公正に対する大きな障害となっています。無駄な公共事業やインフラ投資は、一部の利益追求者による私的利用に繋がり、結果として持続可能な成長を阻害します。官僚主義の利点を活かしつつ、その弊害を克服するための改革が、今後の課題となるでしょう。

武智倫太郎

#仕事での気づき #日経 #再生可能エネルギー #オールジャパン #夢のエネルギー

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