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イランのヘリコプター墜落が世界経済に与える影響(3)

#イラン #ヘリコプター墜落 の記事には、 #東京都知事選挙 #安芸高田市 #石丸伸二 市長が立候補という強力な釣りハッシュタグを付けていたにも関わらず、読者数がほとんど伸びませんでした。そこで今回は読者の皆さんが大好きな #占い をテーマに表題の件について解説します。

ヘリコプター墜落占い

質問:イランの大統領がヘリコプターの墜落で亡くなりました。この件に関するあなたの答えは、以下の中から選ぶとどれに近いですか?

1.『突然の訃報に接し、深い悲しみの念にたえない』と無難な社交辞令を述べる。
2.『我が国は関与せず』と答える。
3.『我々ではない』と強弁する。
4.『い、一体誰が爆破したんだ』と大袈裟に驚きながら答える。

占い結果

1.『突然の訃報に接し、深い悲しみの念にたえない』と何も考えずに日本語の弔電文例をそのまま引用した #外交音痴 #経済音痴 #岸田首相 (元外務大臣)や、 #林官房長官 や、 #生まずして何が女性か で有名な #上川外務大臣 は、まるで #イスラム 文化を理解していません。しかも、全員が同じ弔電文例を使いまわしにするなど言語道断です。

 このような表現がイスラム社会で不適切な理由を説明します。

運命の受容:イスラム教徒はアッラー(神)の意志を絶対とし、全ての出来事は神の計画の一部とされています。突然の出来事であっても、運命として受け入れるべきとされており、『深い悲しみの念にたえない』という表現は、神の意志に対する不満や抗議と受け止められかねません。

死に対する態度:イスラム教においては、死は新たな始まりと見なされ、来世への旅立ちと捉えられます。過度に悲しむことは、故人の霊を安らかにするためにも避けられるべきとされています。よって、『深い悲しみの念にたえない』という表現は過剰な悲しみを示すものであり、適切とは言えません。

宗教的な礼儀:イスラム社会では、訃報に際しての挨拶やお悔やみの表現に特有の礼儀やマナーがあります。例えば、『我々はアッラーのものであり、我々はアッラーに帰る』というフレーズが一般的に使用されます。このフレーズは運命を受け入れ、故人のために祈りを捧げる意味を持ちます。要するに、アッラーの思し召しで、アッラーの元に召された方に対して、『深い悲しみの念にたえない』とは、アッラーに対する冒涜と受け止められるでしょう。代わりに、運命を受け入れる姿勢や故人への祈りを含む表現が望ましいです。

2.『我が国は関与せず』 と答えた人は思慮深さに著しい問題があります。誰もあなた方を容疑者だと言っていないのに、真っ先に自己防衛に走るその姿勢は、『もしかして心当たりがあるのでは?』と周囲を心配させてしまうかも知れません。しかも、事故発生後数時間で自国の諜報機関や軍部が暴走していないことを確認することは不可能なので、このような答えをする人は、ヘリコプターの墜落を仕組んでいる可能性があります。

3.『我々ではない』と強弁したあなたは思慮が足りません。自分の無実を強調するその姿勢は、実際には何も関係がないことを証明したい一心なのかも知れません。しかし、自国内だけを調査するのでも大変なのに、『我々ではない』だと、自国のみならず同盟国の #諜報機関 #特殊部隊 、傭兵まで確認しなければ断言できないので、最も無責任な答えで、初めから調査する気がないという意味と受け取られるでしょう。

4.『い、一体誰が爆破したんだ』 と答えてしまったあなたは妄想家です。墜落の原因が発表されてもいないのに、先走ってしまうその想像力は素晴らしいですが、もう少し落ち着いてから話すと良いでしょう。

 ヘリコプター墜落の原因として、知ったかぶりの評論家が、『濃霧のせい』や、『機体が古かった』ことを挙げていますが、これらの説はどちらも間違いです。

イランのエブラヒム・ライシ大統領らを乗せたヘリコプターが墜落した前後の様子について、別のヘリで近くを飛んでいたゴラムホセイン・エスマイリ大統領首席補佐官は21日放映の国営テレビに詳細を語った。事故当時の天候は良好で、霧が立ちこめ天候が悪化したのは、墜落後だったと証言した。大統領機の搭乗者と墜落後も交信があったことも明らかにした。

読売新聞オンライン

つづく…

#武智倫太郎

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