愛について。
しまった、僕としたことがここまで好き勝手に文章を書ける場で「愛」について書かなかったというのはとんだ失念だ。
少しだけ話をしよう。
まえがき
【僕はこの文書をたった2人の人間に対して書きます。
どうかあなた方がどうしようもなく孤独で、どうしようもなく不安になった時にでも思い出してみてください】
2016.01.05
『君の愛はそうやって
大きな飛行船のやうに
ただ、ひさひさと
僕の頭上に浮いている』
そんな内容の絵を描いた人間を僕は1人だけ知っています。
彼の言う通り、愛とは頭上に浮かぶ大きな飛行船だろう。
なんとロマンチシズムに溢れた価値観だろう。
今彼に会ったら僕は帽子を脱いで、それから何か素敵な飲み物でも渡して、力一杯抱きしめてあげたいくらいだ。
愛の対象というものは、例えば相手が人間であれば「風が吹いていて、髪が揺れるだけで心の尻尾(人間には尻尾なんてものは無いけれど)が震える」というものだろうと思う。
それから眠っている相手を見て何か悪いことをしているような、とんでもない罪悪を犯しているかのような気持ちになるというものだろうと思う。
或いは相手の現在過去未来に受けた(受けるであろう)ありとあらゆる仕打ちに対して、どうしようもなく腹を立てるようなものなのかも知れない。
仏教において「愛」は「ものをむさぼり、それに執着する」「欲望の満足を求める心情」を意味する言葉になるらしい。
心の執着を離れることを一番大きな目標にしている仏教にとって「愛」はまさに排除すべき煩悩の一つであり
「離れるべきもの」
「どうにかこうにか頑張って滅殺すべきもの」
らしい(というのも仏教には「慈悲」という大変都合のいい考え方があるけれど)。
でも僕はそう思わない。
愛なんて誇大妄想的な宗教が煩わしくて危険なものだからこそ大切にしようではないか、兄弟。
花は摘むのではなく、綺麗な水を与えるものだよ。
他への意識は個に還るわけですから、無償の愛なんて無いよ!だなんて悲観的なことを言っているわけではなくて「自分の欲だけで他者を侵害するな」「返ってくる前提で人を愛するな」「自分でもなんだか意味もわかってないのにそんな尊い言葉を振り撒くな」という他責です。
理解ができないのであれば「愛」という言葉を多用してはいけないよ。
こんなことまで言ってしまって、僕は「愛」という考え方を完全に理解しているか?と問われると案外そうでもなくて「もしかしてこうなのかも!」程度のものです。
白い服の染みがなんなのか?いつ付いてしまったのか?を考えただけです。
偉くも賢くもなんともない、ただの一匹の愚かで邪悪な獣です。
こんなに醜い感情を概念化して文章化して正当化しようとしているだけなので、どうかこれを読んでいるあなたは惑わされないでいてね。
私は優しい悪人のようなものなので、どうか許してね。
最後に
こんなことを言うと世界中の愛という言葉の意味が薄まってしまうかも知れない。
でも言わなきゃ。
今直ぐに。
あのね、私ね
どうしようもなく
あなたを愛しているの。
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