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エスパーな祖父の死 と 運転免許

今朝、祖父がこの世を去った。享年92歳。家族の皆に囲まれながらの大往生。手前味噌ですが、穏やかで、本当に美しいお顔で。
明日が通夜、明後日が葬儀。

しんみりしたくはないので、多少面白おかしく書きます。
((  不謹慎て言わないで  ))

まさか、3つ目の記事にこのような内容を書くことになるとは。
書くことを一瞬悩んだけれど、私のnoteのテーマは、田舎への移住に向けての記録。今回の祖父の死に際して見えたものがあったので記録します。

(( 祖父のことを振り返って、一旦のお別れを意味深いものにしたいというのもある ))


:::  祖父は知っていた

まず驚くべきことに、祖父は 知っていたのか、決めていたのか、自身の命日となる日をカレンダーに暗に記していたのです。

こちらをご覧ください。

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カレンダーに書き込まれた 赤の斜線が見えるでしょうか?以前より、祖父は過ぎた日に斜線を引くことが日課でした。

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そして、本日は2020年10月30日です。

祖父は20日頃からまともに動けなくなっていました。ここ3日間なんて、とてもとても手すら自由に動かせる状態ではなかったのです。

なのに、、

29日まで斜線が引かれています。よく見たら、30日に鍵カッコまで書かれています、、、!

叔父曰く、10月のはじめ頃に祖父がまとめて斜線を引いたらしいのです。自分の命の期限を知っていたのかと思わずにはいられません。。。
(ここ最近は、物の整理・片付けも精力的にやっていたよう)

ずっと、ただ者ではないと思っていたけれど、まさか予知能力まであったとは ......!!!

:::  もう少し、 祖父のことを書かせてください

我が家の家業(大そうな響きだな)は、着物の染色。祖父の父(私の曽祖父)が創業し、その後 祖父が会社設立をしました。まだ物心つかない頃に母を、16歳で父を亡くした祖父。16歳にして一家の大黒柱となりました。

戦時中、染工場は休業し、鉄工所で働きながら夜間学校に通っていたそう。知識を学ぶことが好きだった祖父。特に歴史の話をよくしてくれました。もの知りさんだったなあ。

終戦すると、戦地へ赴いていた職人さんたちが祖父の元へ帰って来て、「また一緒に染色をやりましょう」なるオファーが多数あったそう。
染工場をやるか、鉄工所をやるか、悩みに悩んだ祖父は、まさかの「神頼み」。
マッチ棒を取り出し、それの倒れた方を生業にしたのです。
「○○染工場」が「○○鉄工所」だったかも知れません、、、!

そんな流れで染工場を再会することになり、祖父はとても一生懸命働きました。まわりの方の協力と、時代の流れに乗り、とんでもなく多くの着物生地を染め、家族の暮らしを豊かにしました。
今の私が、ろくでもない生活を送れているのも祖父のおかげです。
おじいちゃん本当にありがとう。

ベレー帽が必需品。
ちょっと変(褒め言葉)で、マイペースで、頑固で、軽やかで、ものまねが得意なチャーミングおじいちゃん。
私の中で偉大な存在だった、尊敬するおじいちゃん。
親族で一番、気も話も合ったおじいちゃん。
これから私は、親族でひとり はみ出し者になっちゃうよ。寂しいよ。大好きだよ。


:::  田舎移住のことを書かねば

「祖父の死に際して見えたこと」
それは、まごうことなく「運転免許ないと無理」ということ。

田舎暮らしを始めようと思った時点でそれはわかっていた。
近々、嫌々、嫌々、教習所へも通おうと検討もしていた。
ああ、一生免許なんて必要ないと思っていたのに。。。
(( だって私は生まれながらの都会っ子。。。車に興味もないし。運転こわいし。 ))

でも面倒がって避けようとしておりました。12月前半に免許合宿へ行く計画を来年に持ち越そうと。。。
(( だって12月6日はおじいちゃんのお誕生日なんだもの。って。 ))

けれど、今回みたいに祖父や誰か大切な人の死に目に立ち会うためには、どう考えても免許は必要だ。有事の際に免許は必要だ。だって田舎なんだもの。

心も体も自由で居るためには、免許が必須だ。
移動を誰かに依存することは、不自由だ。

(( 祖父の最期には、不思議なタイミングが重なって、きちんと立ち会えました。祖父は計算づくだったのかな。エスパー。))

:::  と、いうことで

祖父の後押し(合宿中にもしかして、、とか、お誕生日のお祝いできないな、なんて心配がなくなった)もあることなので、やっぱり今年中に免許合宿に行こう。。今年中に取れるかは、わからないけれど。。。

ああ、、いやだなあ、、、


:::  愛する おじいちゃん

予知したのか、決めていたのか定かではないけれど、本日金曜日にこの世を去った祖父。皆に負担ないよう、土日に通夜・葬儀を執り行えることに。
すごいよ、おじいちゃん。さすがだよ、おじいちゃん。大好きだよ、愛してるよ、私のおじいちゃん。

この世に「私のおじいちゃん」と呼べる存在が居なくなってしまった。

運動の第3法則なの?大きな幸せを手に入れるには、大きなものを失わなくてはならないの?って、そんなの解せないけれど。

無条件に愛し、味方で居てくれる存在を失うということの辛さ、年々実感しています。大きな穴だ。スースーして、寒くて痛いよ。

はやく、はやく、京北に行って自然に、温かな人たちに包まれたいよ。

その前に 明日明後日と、 一旦のお別れを きちんとしてこよう。

たくさんたくさん、ありがとう、おじいちゃん。


あーあ、あーあ、物質としてもう会えないなんて。さびしい。

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