見出し画像

週7歌舞伎町日記

※これは2019年の冬にメモしていた日記です。2020年の春に緊急事態宣言が出て、解除され、それでもますます悪化していく社会状況のなか、いつまでも下書きのまま大切にしてしまいそうなので、またいつもの日常になる日までを生きるという気持ちで、「手放すため」に公開をします。

* * *

だいたい毎日、歌舞伎町にいる。

いる、といってもいるところは正式には歌舞伎町ではないのだけれど、なんだかんだで毎日歩く。そのついでに散歩をする。さっき通り過ぎた黄色い看板の無料案内所から漏れ聞こえたZARDが頭からはなれない。

これまでわたしは他人の人生ばかりが美しく思えていた。

「思えていた」という過去形ではないかもしれないけれど、これから書く覚え書きのために過去形にしておく。

画像5

真夜中の美容室とヘアスプレーのにおい

仕事のあと、気がむくと真夜中まで営業している美容室へ、ヘッドスパに行く。

時間も時間なので、これからお仕事に行く女性で満席のことが多く、あちこちでヘアセットができあがっていく。もともと壁も床も天井も真っ白でぜんぜん落ち着かない店内はヘアスプレーのけむりが充満していて、初めてそのお店に行ったときはむせた。ヘアスプレーはすごくいい匂いだけど、ときどき喘息が出そうになってあせる。

美容室のあとに家へ帰るだけのわたしは、ヘアアイロンもしないでただドライヤーで乾かしてもらうだけ。もちろんヘアスプレーは使わない。
だから、わたしの髪の毛からはあのいい匂いがしたことはない。

同じビルには各階ごとにスナックやバーが入っている。エレベーターのドアが開くたびに、きらびやかなドアやその入り口に敷かれたマットが目に入る。お店の名前はだいたい明朝体のアルファベットで書かれているのだけれど、英語にも明朝体の概念があるのかな? って毎回思う、ということをいま書きながら思い出した。明朝体とは呼ばないかもしれない。

このまえは、隣の席に座っていた男性が、「いま住んでるとこ、声かけるとだいたいキャバ嬢なんすよ」と言っていた。

どこに住んでるんだろうなって考えてるうちにわたしは髪を乾してもらいながら寝てしまったので、結局その一言しか聞こえなかったけれど、なんだかずっと覚えている。

知らない人の会話をすり抜けて、

歌舞伎町で聞く知らない人の会話は面白い。
美容室でも喫茶店でも立ち食いそば屋さんでも。

「あのシャンパンまずいんたけど」「それな」「車いらないんだったらくれ」「お前、明日からどうすんの」「アリガトウゴザイマシター」「ねえ見てー! 星空体験プランだって」「わたし今日待ってるから!」

無数の会話をすり抜けて、立ち食いそば屋さんに入って、今日はお昼ごはんおそくなったな、と思いながら発券機で「山菜そば」のボタンを押す。

「かけ」「もり」「ひや」の、特に「かけ」と「もり」のどちらが熱くてどちらが冷たいのかいつまでたっても覚えられなくて、いつも「あったかいの」「つめたいの」と伝えていたら、店員さんがわたしの券をうけとりながら「あったかいの? つめたいの?」と声をかけてくれた。他人はちゃんと優しい。

壁に向かって設置されている長いテーブル、同じ列に仕事帰りのホストと思われるふたり組が座った。ふたりはすごいスピードで天丼を食べて、帰り際に「おつかれ」「おやすみ」と言い合って別れた。

わたしの「お昼ごはんおそくなっちゃったな」は、誰かの「行ってきます」だったり、「おはよう」だったり、「おやすみ」だったりする。
当たり前のことだけれど、世界中、24時間ずっと誰かは起きている。

わたしは普段あまりおしゃべりではないので、わたしの隣の席に座った人はきっとあまり面白くないと思う。

どうしようもないような美しい瞬間

クリスマスの時期のこと、お昼ごはんからの帰り道、歌舞伎町にたくさん存在する雑な看板をかかげたラブホテルの前にトナカイの大きな人形が置かれていた。マフラーが巻かれ、ドンキで売っていそうなサンタの帽子をかぶらされている。

いてもいなくてもお客さんの入りは同じなんじゃないかなと思ったけれど、わざわざクリスマスの格好をさせてここに置いたんだなと思うと、そのいじらしさにわたしの愛が爆発したので、しばらく眺めていた。
すごくかわいいと思った。

夜、その近くを通ったとき、気になってもう一度あのトナカイを見に行ってしまった。マフラーを巻いた彼女(勝手に女の子だと思っていた)はすごくかわいかった。誰かに、「これかわいくないですか?」って話しかけたい気分だった。
ちなみにクリスマスが終わってからまた見に行ったら、トナカイはちゃんと片付けられていた。

歌舞伎町、ほんとうに好きだよ。

画像1

そんな風に、日常生活のなかでいろいろな場面に心が動かされる。

ある日、いわゆる量産型の服装をした超ド好みの女の子が、両手を顔より高くあげてバイバイをしているのが見えた。こちらの方向に歩いてくる男性は、すごく嬉しそうに2回ほどのその女の子を振り返った。

あの日は、「今日はもうこれを超える光景が見られるわけもないので慎ましく暮らそう……」なんて思ってしまった。

気持ちが高ぶってしまって、結局、お昼ごはんを抜いた。あの男性の気持ちを想像する。2回振り返るってどんな気持ちだろう。わたしは思い出して幸せになった。どうも、人のことを自分勝手に想像してしまう癖がある。

まだ寒くて、早く日が暮れる。夕暮れのなか移動をしていると、これから出勤するだろうひととたくさんすれ違う。

夜になる前の歌舞伎町。フェンスにかこまれた公園。まだ開かない調剤薬局。たびたび交番のひとと目が合う。ロングコートが似合いすぎる年配の男性。喫煙所。やけに黄色が多くて目に優しくない看板の数々。一昔前の音質の悪いJ-POP。

知らない客引きのひとに「元気?」と声をかけられる。「元気」って言ったら、もしくは「元気じゃない」って答えたら会話がはじまるのだろうか。そう思いつつもまだ返事をしたことがない。ときどき、気が向けばにこっとする。

夜になると、歩くひとの雰囲気がすこし変わる。
わたしは、ひとりでいるときはなにも鳴らしていないイヤホンをつけていることが多い。人と話すことが面倒なのもあるし、なんとなく自分が遮断される気がして気持ちがいいからだ。

それでも夜の歌舞伎町は、こちらがイヤホンをしていようがおかまいなしに話しかけてくるひとが一定数いる。
かつて黒髪ボブだったときは年齢層高めで仕事帰り風の男性、髪が伸びて茶色くしたらホスト風の男性。中身は同じわたしなのに、髪型が変わるだけで声をかけてくるひとのタイプが変わる。

地獄の縮図のようだなと思うのと、バカバカしくて笑いそうになるのと半分ずつの気持ちがする。

夜だけ開く調剤薬局

もう長年、不眠症の薬を飲んでいるのだけれど、通っている池袋のお医者さんに提携している薬局は、お医者さん自体の営業時間と噛み合わないことが多い。

去年末、年内の営業最終日に処方箋をもらいに行ったらすでに薬局自体の営業が終わっていた。翌日の朝には新幹線で実家に帰る予定だったし、どこでも必ず取り扱っている薬ではないので、とても焦った。近くの薬局に電話をかけても、のきなみ営業は終わっていた。

お医者さんの受付で薬局の営業が終わっていることを教えてよと思いながら、今日中にどうにか薬を手にいれなければと不安がつのる。あと一押しなにかがあったら、もう泣いてしまうというギリギリのところ。とりあえず電車に乗って新宿へむかった。

歌舞伎町の真ん中にある、夜から開く調剤薬局に電話をかける。いつも通り営業していて、いつも通りその薬も取り扱っていた。まるで年末の雰囲気もなく、平日のど真ん中のようだった。半泣きのまま、「だって、どこも閉まってて、お医者さんはやっているのに、でも閉まってて」という的を得ないわたしの説明をうんうんと聞きながら、白衣の薬剤師さんは薬を出してくれた。

あの日ばかりは、もう新宿しか好きじゃない、と思った。

2019年の夏に出た詩集『伝説にならないで』には、その薬局のことが出てくる。出版後、1冊を持って薬局へ行った。やっと「あのときはありがとうございます」が言えてうれしかった。

P1022151 のコピー

ゴミ収集の車に積まれるお誕生日バルーンの美しさ

マンションのすりガラス越しに見えた人影。目隠しにおいてある植木の後ろで音をたててまわる洗濯機。中身が入ったままのコカコーラの500mlペットボトル。年内の営業を終えたお店と、年中営業中のホテル街。踏み潰された真っ黒い箱のタバコ。前をあるく女の子が「これビジュアル系の人がよく吸ってる」と箱を振り返って見ながら言った。

道を歩いているだけで勝手に開く反応が良すぎる自動ドアからわざとらしいロボットのようなちょっとこわい自動音声が「いらっしゃいませ」「ご希望のお部屋のボタンを押してください」と建物に入っていないわたしに声をかけてくる。

オルゴールの音、山積みにされた白菜、どこかの国の言葉の読めない看板、SUZUKIの白い軽トラックが詰め込まれた神社の駐車場、小学生が書いた防犯ポスター、職業イケメンの看板、教会に貼られた達筆なスローガン、水色のホース、ハングル文字のスーパーの袋、自転車のすきまをぬって歩く道、信号の後ろに山手線、暇そうなタピオカ屋さん、香水やお香やルームスプレーではない湿度のあるような甘いアロマオイルのにおい、歌舞伎町。

誰かのお誕生日が終わったお店の前、白とピンクのバルーンがぎゅうぎゅうに入った半透明のゴミ袋を業者の人が容赦なくトラックに回収していった。まだきれいに咲いているスタンドの花も、手早くトラックの荷台に積まれていく。

これまでわたしは、自分以外の他人は全てスマートに生きているように思い込んでいた。

わかりやすく言えば、スタバの店員さんとか、新刊書店のビジネス書コーナーとか、ペットボトルの高い水とか、そういうわかりやすい面に目が向くことが多かった。

だけど、わたしは今、そのときに感じる「他人の人生はいつも美しいな」という思いを上回るものを知っている。

ラブホテル街でなんども女の子を嬉しそうに振り返って手をふっていた男性や、しぼんでもいないバルーンがゴミになってしまうことや、マフラーをまいたトナカイや、わたしの遅いお昼ごはんが誰かにとっては朝ごはんになる時間軸や、道に積まれたゴミ袋でさえも、24時間、世界はずっと人が生きていて営みをしているという実感の美しさにはかなわないからだ。

客引きの男性の耳に入っていた白いBluetoothイヤホンも、ハンズフリーでずっと怒っていた女性も、処方がもらえなくて半分泣きながら電車にのったわたしも、それぞれの生活があって、日々をくりかえし続けている。

画像3

歌舞伎町の詩が待合室で流れても違和感のないように

ときどき、ネイルサロンに行く。
爪がほんのちょっとでも伸びると気になってすぐに切ってしまうわたしはネイルアートをしないから、ただ単にハンドマッサージをしてもらうだけだ。テンション高めのギャルの店員さんは、ひくほど下手なわたしの会話にも、「えー、それまじすかヤバ」ってびっくりするほど大きい声で返事をし続けてくれる。なんなら、わたしの話しを引き出し続けてくれる。

そのうちなんとなく楽しくなる。それだけで、生きようって思う。
ハンドマッサージはおまけだ。気持ちいいけど、別にしてもしなくてもいい。

わたしは普段、詩の朗読ライブをする活動をしているけれど、歌舞伎町にいるとこの風景で流れていても違和感のない朗読とはどんなものだろうと考える。

今、朗読音源を作っている。

そのCDに収録する詩は、わたしがいつも見ている歌舞伎町の風景がたくさんまざっている。歩きながら音源を聴いていると、目の前のことと耳に聴こえることが同化して、だんだん輪郭がドロドロになっていく気がする。

いつか、風俗の待合所でこの音源が流れて、なんの印象も残らないくらい違和感なく溶け込めたらいいのにと思う。

耳に入って流れていくだけでいい、言葉もひろわなくていい。ただそこで流れていてもいい朗読がしたいと思う。

これからもわたしは、お昼ご飯にむかうときに1日中ずっと柔軟剤の匂いがする道で食欲をなくすし、ヘアスプレーが充満してむせそうな美容室に行って、ラブホテルの入り口の飾りに季節を感じ、捨てられるバルーンやスタンド花、知らない人の笑い声に自分の存在の実感をもらいながら、ずっと生きていくのだと思う。

わたしの人生だって美しい。

いつかシティヘブンネットのテンプレで、歌舞伎町の詩を書きたい。

画像4