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地方っ子、都会の難関校を目指す! #4 ヨコミネ式幼児教育のその後

昨日、近所のスタバへ訪れたところ、どうみても幼い、たぶん幼稚園生と思われる子とママの親子が隣の席にいました。
どうやら、掛け算を勉強している様子。
どうやらどうやら、ママの満足のいく習得っぷりではない様子。
キレッキレ(悪い意味で)のママ。

わが子の、保育園時代を思い出してしまいました。
ということで、受験のことをちゃんと書いていないのに、微妙に番外編です。

我が家の次男坊の保育園は、ヨコミネ式を導入していて、次男は年少からの3年間、ヨコミネ式をガチでやりました。
ちなみにヨコミネ式とは

ヨコミネ式とは

「すべての子供は天才である、ダメな子なんて一人もいない」
を理念に、子どもたちの可能性を最大限に引き出す…というのがコンセプトのようです。

ががが…先に言ってしまうと、理念とは違い
「ダメな子ってことを幼児の段階で悟らせる」
指導法になってしまいがちだと、私たちママ友連は感じていました。

実際の、本場鹿児島の保育園では、理念に基づいた指導がされているのかもしれません。
しかし、それをある程度マニュアル化し、フランチャイズのようにしてほかでも導入させようとすると、マニュアル通りに進めることがメインとなってしまって、理念が置いていかれてしまうことになるのだなぁと感じていました。

ヨコミネ式では何をする?

簡単に言えば『英才教育』です。
すべての子供は天才、だから、英才教育を施せばみんなすべてを吸収して、そして、ヨコミネ式をやった子みんなが天才になれる、そういう考えのようです。

そうでしょうか?

幼児の時期の4月生まれと3月生まれの差って、物理的にかなりあります。
同じことを教えられても、4月生まれと3月生まれでは理解できる能力がどうしたって違うんです。
すべての子が天才になれる要素を持っているという考え方には多いに賛成するけれど、ヨコミネ式のおかげで天才になれる子は、ほんの一握りだ、と思います。

具体的にヨコミネ式で何をやったか

● マット運動 → 開脚に始まり、ブリッジ・側転・バック転など
● かけっこ・跳び箱
● 読み書き・計算

主にこれらです。
みんながみんな、簡単にできるようになることだと思いますか?
簡単じゃないんですよ。当たり前です。バック転なんて、簡単にできないんです。べたっと体が床につく開脚なんて、そもそも柔らかい子とそうじゃない子で、どうしても差があるんです。

しかし、理念から言えば子供は教えればできるようになる『天才』なので、先生方は目を吊り上げて「できるようにさせる」べく奮闘するのです。
子どもはみな『天才』だから、できない子なんていないんです。いちゃいけないんです。
そういう理念なんですから。

上の子も同じ保育園に通っていたので、よい先生方ばかりだというのはよくわかっていたのですが、その先生方が笛を鳴らして声を張り上げて「ハイ次!!!」と叫んで跳び箱をさせている姿とかは、正直異様な感じでした。

ヨコミネ式をやって、子供たちはどうだった?

うちの保育園に関して言えば、子供たちは「できることを」をできるようにさせるためのカリキュラムに沿って一日を過ごすことになり、夏のプールも、野菜を育ててクッキングすることも、お庭に出てダンゴムシを見つけることも、冬に雪遊びをすることも、なくなってしまいました。
先生の絵本の読みきかせもなくなりました。

重ねて言いますが、子供はみないろんな面で「天才」になれる要素があるとは思います。しかし、跳び箱やバック転、読み書き計算の分野では天才になれない子だっていると思うんです。

うちの子は12~13段とかの跳び箱を飛べました(幼児サイズみたいですけどね)が、5段くらいがやっとという子もいました。
バック転も全然できない子もいました。
うちの子は固くて、最後まで開脚がうまくできませんでした。
勉強面もさっぱりでした。
ヨコミネ式カリキュラムで言う「天才」にはなれず、幼くして劣等感を味わって、それが後々まで響いてしまったと嘆いていた3月生まれの子のママもいました。
お遊戯会はなくなり、ヨコミネ式の成果の披露会になってしまいました。
よくできる子は出番がたくさんあるものの、あまりできない子は出番が少ない(隠したいものを隠すような扱い)ことになっていました。
運動会も発表会も同じようなことばかりやるようになってしまいました。
(ブリッジとかばっか)
障害物競走とか、劇とか、いろいろな経験ができないままでした。

読み書きについては、先生が超スーパー教育ママのような状態になっていたので(笑)なんとかみんなが掛け算九九が言えるようになっていました。
ががが…掛け算とはどんなものかわかっていないで呪文のように唱えて言えていただけなんですよね。

小学校に入ると、当たり前ですがヨコミネ式をやっていた保育園から来た子ばかりではないので(地方の田舎町なので9割は同じ保育園からだったけれど)、当然ながら学校は学校の指導要領にのっとって授業をします。
ヨコミネ式でひらがなカタカナ、掛け算九九もすべてマスターしたといっても、最初っから始めるわけです。
そして、2年生で九九を学校でやるころ…ほとんどの子が九九を忘れていました(笑)呪文のように唱えていただけ、つっかえると先生に怒られるから言えるようになっていただけで、ちゃんと覚えていたわけではなかったんです。
うちの次男坊の場合は、お兄ちゃんが保育園のときに教わった『掛け算九九の歌』をお兄ちゃんに教えてもらい、自分がうっすらと覚えていたことを呼び戻して、完ぺきにわかるようになったという感じです。
『掛け算九九のうた』のほうがよかったんじゃないの~って感じです(笑)

結果…みな『凡人』の小学生になった

当時、ヨコミネ式で言うところの『天才』になった子(すべてできるようになった子)も、みなしっかり凡人に成長しました。
ヨコミネ式のおかげでその後も天才ロードを歩いている子は一人もいません。

こちらの記事で書きましたが、ガチでヨコミネ式をやり年長になるころには掛け算九九も1年生で習う漢字もすべてパーフェクトに覚えていてた次男と、畑仕事や動物の世話に明け暮れ、遊びながら勉強を教えてもらった長男は、対照的な保育園時代を過ごしたものの、同じ大学に通うことになります。
結果は同じってことです。

就学前の勉強面での差なんて、すぐに縮められる程度のことだと思います。

カフェに行ったら「このケーキおいしいね」って会話をすることのほうが、大事なんじゃないかな~なんて考えてしまいました。
でも、それに気がつくのって、子どもがある程度大きくなってからなのでしょうね。






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