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第9夜😺大人5人の家にネコが来た! 先代マレスケ物語③




4. マレスケの夏

 
 そんなマレスケの食欲が急に無くなり入院する事になったのは、セミの音(ね)がうるさい夏の頃でした。

 母が動物病院へ見舞いに行くと、酸素マスクを付けたマレスケが横たわっていました。マレスケが居る部屋の外から窓越しに「マレスケ~」と、母が声を掛けるとマレスケはゆっくりと顔を母の声の方に向け応答しました。

しばらくその様子を見ていた母が「後はお願いします」と看護師に告げ、帰ろうとしたその時「ニャー」とマレスケが母に声を掛けたそうです。

張りのある元気な声だったそうで、これなら元気になると思った母でした。

 そして、帰宅途中の自動車の中。ちょうど信号待ちになった時に携帯電話が鳴りました。

それは、マレスケが息を引き取った事を知らせる病院からの連絡でした。

マレスケは母方の祖父が亡くなった時と同じく、お盆の時期に旅立って行きました。


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しあわせの白い猫をさがして


 マレスケが旅立った後、大人たち5人は何かにつけてマレスケの話をするようになりました。そして、誰ともなく、おずおずとためらいながらも白い猫を探し始めました。

猫を飼うなら、白のオスだけよね。オッドアイなら更にいいね、と。

そのあと、続づいて家族となった白い猫たちも不思議な特性を持つ、結構な個性派ぞろいでした。

2代目チビチロ・マレスケ 


 今では、笑い話ですが。地域だよりに掲載される「子ネコさし上げます」に、白い猫は居ますかと問合せる私たちは「動物実験でもするのか」と、いぶかしく追及される事もありました。笑い話ですが。

 そんな中で出会った白い猫は、保健所から来た”巻きシッポの白いメス猫”で、まだ両手にすっぱりと納まるサイズの子ネコでした。犬のように短い巻きシッポだったので犬によく使われているような”チロ”という名前をとって、”チビチロ・マレスケ”と命名しました。

 当時、保健所は保護された猫が集まる場所でもありました。私の住んでいた地域では希望する犬や猫の要望書を提出しておくと、保護された後に飼い主がいない場合連絡が届くシステムになっていました。
 「『白いオス猫』の希望とありますが、白い子ネコで、メス猫なんですがどうでしょうか?」と保健所からの電話を受け、「全く問題ありません!」と2つ返事で妹が子ネコを迎えに行きました。

 その白い猫は、妹が受取書を記載している間も「ここに書くによ」とばかりに用紙の上に飛び乗り、まるで書類の書き方を教えてくれているように動きまわっていたそうでした。
保健所の方の話では、自分も子ネコなのも関わらず、保健所にいる更に小さな子ネコの面倒をみていたしっかり者のお姉さんだったそうです。
 
 チビチロ・マレスケは好奇心旺盛で、家の引き戸を開けようと工夫とチャレンジを重ねるその姿は、これからの成長が楽しみな大物感がありました。

 そして、我が家に来て数週間後にパルボウイルスで亡くなりました。

 保健所から、チビチロ・マレスケが面倒を見ていた子ネコがパルボウイルスで亡くなったので感染している可能性があると電話が入りました。その翌日から、下痢と嘔吐が始まりました。

 火葬場で「こんな小さな子ネコは火の勢いで骨が砕けてほとんど形は残りませんが、どうしますか?」と言われるほど、まだまだ小さな命でした。

獣医師から家の中も全て消毒するように伝えられていいた事もあり、火葬したチビチロ・マレスケ。その小さくなった遺骨は庭の柿木の根本に埋めました。
 それから、いつも渋柿だった柿が不思議なことに甘柿を付けるようになりました。

 それはまるで、2代目のチビチロ・マレスケが、ぐーぱーと動かしていた小さい手を「うん、ぱぁ」っと広げながら、魔法のように柿のみを甘くしたようでした。


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3代目マレスケ 


 次に出会った白猫、『3代目マレスケ』は、頭に筆で黒く点を付けたような、1点黒い箇所があるオス猫でした。

地域だよりに載っていた猫です。母猫は大型のグレーの毛色でロシアンブルーのような猫で、子ネコの中で最後に残った猫でした。会ってみると、その母親のせいたんな顔立ちとは異なり、生まれたての赤ちゃんが奇跡的に数ヵ月経っても未だ出来上がっていない顔のままでいるというような、毛もぷわぷわした愛嬌のある猫でした。

 3代目マレスケとなったその猫は、母が「白くなれ~」とその頭の黒い点をさすっていた願いに応え、いつの間にか黒い点を消し完璧な白猫となったネコでした。

 3代目は、私が夏風邪の高熱でうなされていた時に、ゴロゴロ音で私の風邪を治してくれた猫でもありました。
 猫は、仲間の体調が悪い時に、その仲間に寄り添いゴロゴロ音を伝える事で免疫力を高め、鎮痛や治療の促進をするようです。3代目は夏の暑さの中、廊下で自分の身体を冷やしては私の所に来てピタッと寄り添いゴロゴロ音を鳴らし続け、献身的に看病をしてくれました。

高熱の時に純毛の猫に寄り添われるのは、こちらも暑くて大変でした。
当のマレスケも暑かろうに、何度も何度も床で身体を冷やしては戻って
熱い私にぴたっと寄り添う不思議な行動。しかし、”治してもらっている”とい愛情は感じていました。
    
      ありがとう、マレスケ

2代目、3代目とつづく愛情あふれるマレスケたちのお話は、また次回に。


猫はリーダーシップに富み、愛情あふれる相棒で、人生の師匠


我家の猫たちは、すべからくリーダーシップに富み、愛情あふれる相棒であり、師匠ネコたちです。 

  それは、今でも続いていています
  それは、先代マレスケの時から、ずっと引き継がれています
  それは、とても、とても ”しあわせなこと” です

 そして今、先代マレスケの遺骨の一部は、父と同じお墓に入っています。末期がんと宣告された父が生前、「1人で居るのは寂しいから、一緒に入れて」と、希望していたからです。その時の父の言葉に、母は「仏教は、畜生(ちくしょう)とは一緒に入れてはいけないのよ!」と猛反対でした。

 母のこの真面目な姿と、いつもマレスケを溺愛していた時の姿との大きなギャップに家族一同、「そこは、厳しいんですね」とドン引きでした。
父も予想外の反対に驚きながらも笑っていました。

今ではネコの数の方が、ヒトの数より多くなった我が家です。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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23-8-8【相棒猫との暮らし方】第9夜 ゲスト:あん


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