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神さまとセックス 〜 「悟り」について

魅力的でありたい
ひとりの女として
ひとりの人間として

わたしは昔から「悟り」ってことに関心があった
ずいぶん若い頃から

だから禅やスピリチュアルも
哲学や文学も
聖書も宇宙も量子力学も
たくさん勉強したし実践した

いつか「悟り」が訪れると
この人生の間にもそれが訪れると
そう思って生きてきた

20代の頃も
30代の頃も
メンターとなる人と出会い
そういう人たちの体験談を聞いていた

わたしの中にたくさんの「言葉」が
積み重なった

ある人は言った

「それは突然訪れるんだよ」

ある日ふいに
ふと普段と違う感覚がやってくるらしい

またある人は言った

「『差』を『とる』から『悟り』なんだよ」

差がなくなるということはある意味こわいことだ

暗闇の中で誰とでも性交をする宗派があるそうだ

だって「差」がないのだから
愛には「差」がないのだから


そしてまたある人は言った

「内と外は同じこと
自分と世界は同じ
すべてはひとつ」


ある哲学者は言った

「宇宙の果てを想像できるということは
自分(というコレ)が無限だということだ」


みんな同じことを言っているんだよね
言い方は違っても


わたしの中に積もった言葉たちは


40代に入ったある日


すべて肚に落ちた


その通りだった


内と外は同じひとつのものだった

境目はなくてつながっていた

あなたとわたしはひとつだった

時間もつながっていた

愛だけがあった

愛するためだけに存在していた

わたしたちは永遠に生きている


そういったことが
怒涛の流れで自分に起こった

「起こった」のだ


「ハプニング」なのだ


わたしはその日から怖いものがなくなって
「凪」になった


それを言語化するのはなかなか難しいし
伝えることも必要ない気がしてしまった


自分だけが知っている
それを知っている自分が存在するだけでいいというか

「問題」がなくなってしまったように見えるから
なにもしなくてもよいと思っていた


でも今日とあるところで
20代の男の人に
ちらっとそのような話をしたら

「師匠」って呼ばれた笑


わたしもいつのまにか
「言葉を配る側の人間」になったのかなって
驚くとともに嬉しかった


配る必要はないと思っていたけど
もらってくれて喜んでくれる人がいるなら
言葉をあげたい


わたしがメンターからたくさんの言葉をもらったように

そしてその言葉が積もり積もって
いつかその人を「悟り」へと導きますように


「悟り」って楽しいよ
そして気持ちいい


ある人が昔言っていた

「セックスのオーガズムの何百倍も気持ちいい」

ってそれはそうだよ


天とセックスするんよ
神さまとセックス


それは自分とのセックス

天に向かって何回も何回もイクんよ

笑っちゃうよ


「笑い」も「悟り」なのよ


わたしはまた神さまとセックスしたい


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