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ペニー・レイン Vol.6

  3

 久しぶりに、楽しい夢を見た。

 ぼくは、小人ぐらいの背になって、テーブルの上に立っている。ものすごく大きなプディングと、グリーンや赤にてらてら光るゼリー。フルーツをもった足のついたボウルが、まるで未来の建物みたいにぼくの頭の上にそびえている。

 どれから食べよう! ぼくが喜びで胸をいっぱいにしたとたん、上からぶどうが一粒、ぼくの頭めがけて落ちてきた。ぼくがよけると、フルーツボウルの上から、ひょこっとキムが顔を出した。うまくよけたな。キムは歯を出してくくく、と笑った。そして、次々とぶどうを落とす。ぼくはきゃっきゃとはしゃぎながら逃げ回った。

 「何やってんだよ、お前ら」。声がしたほうを見ると、エドが立ってた。「はやく、客が待ってるよ」。そうか、今日は、ぼくらのライブだ。はやく、みんなのとこへ行かなきゃ。ここで、夢はさめた。


 昨日は、すっかり興奮して、夜寝つかれなかったのだ。そして、朝型に 〝テーブルパーティ〟の夢を見た。
 バンドかぁ。ぼくは、お昼のサンドウィッチのレタスを引っ張りだしてわしゃわしゃとかみながら、心の中でつぶやいた。なんてステキなんだろう……! 

ぼくは、うっとりしながら、次はハムだけを引っ張り出して口で拾い上げるようにぺろりと平らげた。 
「あんた、へんな食べ方するのね」
 突然、背中で声がした。振り向くと、クラスメイトのサンディがじっとぼくを見ている。

 サンディは、銀ぶちめがねにそばかす顔で、いつも三つあみをしている。まあ、おせじにもあまりおしゃれとか、かわいいとか言えないタイプの女の子である。

 当然、あまり男の子とは話さないタイプなので、ぼくは話しかけられたことにちょっとびっくりした。サンディは、まるでめずらしい爬虫類でも見るかのような目つきで、ぼくをじっとりと見つめた。

 ぼくは、食べかけのサンドウィッチを持ったまま、一歩後ろに下がった。
「あんたの家って、お店なんだって?」
 そうだけど、とぼくは小さく言った。サンディは、一歩ぼくに近づいて言った。
「今度、お店に遊びに行っていい?」
 サンディは、獲物を狙っているカメレオンのように、瞬きもせずに話す。それにしても、「お店」って、一体、どういう店を想像してるんだろう。テディベアを売っているようなファンシーショップでも想像してるんじゃなかろうか。

 そこで、できるだけ彼女を傷つけないように、遠慮がちに言った。
「でも、君の趣味には合わないと思うな……」
 サンディは、指で眼鏡をつい、と上げて、肩をすくめた。
「わたし、何でも自分の目で確かめてチャレンジしたいタイプなの」
 彼女は、そう言うと、急に身をひるがえしてたたた、と駆けて行ってしまった。確か、クラスメイトのある男の子が、彼女のことをからかって「マンディ」って呼んでたっけ。ぼくは、ぼう然とその場に立ちながら、そんなことをぼんやり思い出していた。


 あの日からちょくちょく、ぼくとキムとエドは、「ディキシー・ジャズ」で練習するようになった。エドは、寄宿学校に入っているので、三人そろっての練習は、主に土曜か日曜の昼から夕方にかけてやった。エドというのがまた、ほんとに音楽に詳しくって、レコードもたくさん持っていた。彼は、家によるたびにいろんなレコードを持ってきて、店のプレーヤーでかけた。

ぼくとキムは、カウンターに並んで座って足を組み、エドの持ってきたコレクションに酔いしれた。そして、できそうな曲をピックアップしては、その場で練習したり合わせたりした。

 年長者であり、音楽通なエドが加わったことにより、お遊びだった練習は一気に本格的になってきた。

 エドは、ぼくらにとってはリーダーのようなもので、良きアドバイザーでもあった。例えば、ぼくが
「今の、どう?」
 と、聞くと、エドはうーん、と首を傾げてから、言葉をひとつひとつ選びながら言う。
「二度目のさび辺りから、キムのリズムがちょっと走りすぎたかな。それで、途中から、ディッキーがそれを追いかけて苦しくなって、声が上ずっただろ。ディッキーは、自分が気持ちよく歌えるペースは守ったほうがいい。リズムがコンマ何秒先走っても、それに引っ張ってってもらうぐらい、で」

 ……という具合だ。うまく行ったときは、エドは演奏途中でも、サックスをくわえながら、指でOKサインを出す。すると、とたんに体の奥から楽しくなってしまう。三人で合わせるごとに、なんだかめきめき上達するような気すらした。


 週末の「ディキシージャズ」での閉じられた時間。それは、ぼくらにとって隠れ家での秘密の時間のように、濃くて、幸せなときだった。
 歌を練習するようになってから、なんか毎日が楽しい。歌えば歌うほど、メロディが自分の中にしみこんでくるみたいだ。歌が、少しずつ自分のものになっていくような感覚がする。ぼくは前にもまして鼻歌を歌うようになった。気がつくと何か口ずさんでいる。歌と歩くと、心も弾む。


 そんなある日の朝、学校へ行こうと階段を降りていくと、店の入り口をのぞきこんでいる後ろ姿が目に入った。女の子だ。ぼくは、ふと鼻歌をやめて足を止めた。きれいにカールした金髪が、朝の光に透けて肩の下で揺れている。女の子は、じっと動かない。何だか、声がかけられなかった。視線を感じたのか、女の子は振りかえった。透き通るような白い肌に、ガラスのような青緑の目。なんてきれいな顔だろう。年はエドより少し下ぐらいだろうか。ぼくは思わず彼女の顔に見とれた。彼女は、ぼくと目が合うと目をふせてその場を足早に去っていった。

 あとには風が落ち葉を運び、くるくる回った。まるで、天使が迷い込んでその場に降り立ったかのようだったな。ぼくは、女の子の後姿と振りかえったときの顔を思い出しながら、心の中でつぶやいた。ぼくは、そのことをキムには言わなかった。


 その日の開店前のことだった。
 ぼくが学校から帰ると、店から背の高い男の人が出てきて、マスターとママとで何か話している。何か、おだやかではない雰囲気だ。
 ぼくがじっと見ているのに気づくと、三人は話すのを止めた。男の人は、では、また、と軽く頭を下げると、ぼくの横を通りぬけて表通りへ去っていった。
「今の人、だれ。どうしたの」
 ぼくが、ドアをくぐりつつ聞くと、ママはぼくの背中をたたきながら、なんでもないのよ、と微笑んだ。
 今日は、なんだかいろんな人が店をのぞきにくる日だ。ぼくは、ちょっと首を傾げながら、マンションの三階の自分の家に戻った。
 ――朝、かわいい女の子に会った。体育の授業のバスケットボールではシュートを三本決めた。そして気になる大人の会話――。


 その日は、いつもより疲れていたみたいだ。ぼくは、知らないうちにベッドで眠ってしまっていた。気がつくと、しんとした濃紺の夜が部屋に広がっていた。不思議な時間に眠ってしまうと、起きたあとなんだか記憶を失っていたみたいに変な気分になる。口の中もねばねばする。ぼくは、目をこすると、店へと降りていった。

 いつもは、店の裏口の小窓から明かりが漏れているのに、今日は薄暗い。そっと、三センチぐらい裏口のドアを開けると、カウンターの一番向こう側にママがひとりで座っていた。
 たったひとつ灯ったライトの下で、ママは、カウンターにひじをついていた。遠くを見て、ライトのせいか、目が潤んで見えた。グラスを傾けてお酒をひと口飲むと、手をおでこにつけてうつむいた。そして、そのまま動かなかった。

 ぼくは、息を止めたまま、しばらくママを見つめていた。ママは、いつものママじゃないみたいだった。そして、陰からのぞくぼくに、とうとう気づかなかった。 
 
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