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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.19 第四章 風の章、再び

  四、風の章、再び

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。
 ひとりになってガランとした部屋に、西日が差している。シャワーを浴びなくちゃ。じきバイトに出かけなければいけない。そう思っても、体がだるくて動けない。カケルは、再び、バタン、と布団に寝ころがる。
 シーツに、ふんわりとリンスの匂いが香る。沙耶の髪の匂いだ。沙耶は、いつも通りヒールで弾むようにやって来て、事を済ますと、じゃ、ね、と言って軽い足どりで出て行った。今日は夕方からバイトだから、と言うと、じゃ、その前に会おうよ、とまるでお茶でも誘うように言った。

 同じ学部の沙耶が、泣きながらカケルに電話をしてきたのは、夏休みの少し前のことだった。お願いだから、飲みにつき合ってほしい、と言う。仕方ないので焼き鳥屋で落ち合った。
 聞けば、同じ学部の裕介に別れを告げられた、と言う。忙しくてなかなか会ってくれないことに業を煮やして、同じ友達仲間の周と遊園地に行った。そのまま弾みでホテルに行ってしまい、それが裕介にバレて激怒された、と言う。
「だって~、あたしだって寂しかったんだもーん。まさか別れようって言われるなんて思ってなかったよー」
 沙耶はしゃべりに一区切りついたところでビールを一気にあおった。
「ふーっ。あーあ。輝く夏を前に彼氏なしだなんて。耐えられない‼」
「しょーがないだろ。じゃ、周とつき合えば?」
 枝豆をつまみながら、カケルが言う。
「うーん。それは……」
 沙耶は、熱い息と共に、カケルの耳に内緒話を吹き込む。
「相性、良くないみたい」
 カケルの手元が狂い、黄緑色の枝豆がひとつ、ぽーんと、さやから飛び出す。
 沙耶は、ビールが空になったのに気づいて、店員を大声で呼ぶ。
「生中、もう一杯!」
「おやじだなぁ」
 すっかり酔いつぶれた沙耶を連れて、カケルはアパートに帰った。今思えば、それが沙耶の策略だったと言える。
「一度、寝てみたかったんだよね。カケルと」
 まだ二日酔いで頭がぼんやりする中、淡い光の中でプルオーバーに首を通しながら、そうのたまう沙耶を、半ば恨めしいような気持ちで眺めた。
「何。あ、もしかして、彼女とのこと心配してる?」
 あっけらかんと振り返る沙耶に返す言葉もない。カケルは軽くため息をついた。そういうわけでもないけど。今までも、彼女がいるのに他の女の子とそうなってしまったことがないわけじゃない。でも、その時の彼女こそ、沙耶みたいな軽いタイプで、別れる時にはすでに向こうにも相手がいた。
「大丈夫! 彼女との邪魔はしないから。ただ、時々こうやって会おうよ。ね」
 沙耶は、立てひざのまま寄ってきて、カケルの首すじに軽くキスをした。
 だからこの夏は、劇団の稽古がないというのに、まるで止まらないメリーゴーランドのように目まぐるしかった。
 バイトして、マリとデートして、沙耶が訪ねてきて、また日が昇って、今日はデートが先で、そのあとずっとバイトで、死んだように寝ていたら、チャイムが鳴って沙耶が立っていて。何もない日は、クーラーの中で一日寝ていた。
 誰にも会わなかった日の何かおいてけぼりな気分に陥る夕暮れ時が、嫌いだった。そんな時、携帯でマリの番号を出した後、沙耶の番号を出して、結局どちらにも連絡せずに、また眠る。どちらに気持ちを預けていいのか、許していいのか、分からなかった。

 マリは、にぎやかでいかにもなデートコースを望んだ。湘南の海で、小高い丘の上のカフェで、夜景の見える観覧車で、たわいもない会話をして、お茶を飲んで、時々は並んできれいな風景を眺め、たいていキスをして、そして別れた。マリも、それ以上求めて来なかったし、カケルも無理強いしなかった。何となくできなかった、というのが正しいのかもしれない。
 本当は、もっとマリに触れたかった。その艶やかな髪に。きゅっと引き締まった形のいい足首に。なだらかな胸から細い腰まで。余すところなく触れてみたい。けれど、隣に座るマリは、いつも姿勢よく、人形のように固まっているように思えた。なぜか、くちびるが触れ合っても、その姿勢は崩れなかった。
 カケルは、いつもマリへの余韻と妄想を抱えながら帰路についた。
 一度だけ、マリと会った直後に自分から沙耶を呼び出したことがある。何も聞かずに来てくれた沙耶を、カケルは玄関で靴も脱がせぬまま、激しく抱きしめた。そして、沙耶を抱きながら、マリの幻影を追いかけた。
「ごめん、もう行く」
 ほとんど、会話らしい会話も交わさぬまま、その日沙耶は帰って行った。
 それからしばらく、沙耶からの連絡は途絶えた。
 海を見ながらマリと並んで座る。マリは先ほどから、この間観た映画の感想をしゃべっている。マリの声は、まるで遠くのラジオみたいに聞こえる。あれから連絡ないなぁ、と、沙耶のことを思う。
 ごめん、もう行く。
 それまでは、じゃ、ね。と軽くあいさつをして出て行った沙耶。あの日の沙耶は、それとは何だか別人みたいだった。いつもより激しく触れ合ったのに。
 カケルは、沙耶の白くて伸びやかな肢体を思い起こす。そして、ふと思う。沙耶も、結局は、自分と同類なんじゃないか。淋しい体を持て余して、求めあう二人。何回重なっても、いつも甘くて、そして淋しい。甘さも淋しさも、麻薬のようにくせになってやめられない。なのに、本当に愛するということが何なのか、自分も沙耶も、分からないのだ。

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