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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.61 第七章



 しばらく、また海岸沿いを歩いた。向こうに江の島が見える。

 いつの間にか、カケルさんは、ビデオカメラを取り出して、海を撮影している。
 カケルさんは、たたた、と数歩先を行くと、振り返って後ろ歩きでこちらにカメラを向ける。頭上には、とんびが鳴きながら飛んでいる。浜辺のえさを探しているんだろうか。

 そろそろお昼だろう。そう思ったら、ものすごくお腹が空いてきた。やっぱり、のども渇いてきた。
 道沿いのお店は、昼時だからだろう、人の出入りも多く、店内では女の人たちがおしゃべりしながらカップを手にしている。

 カケルさんも、空腹を感じたようで、店を通りすぎたあと、腹へったな、とつぶやいた。でも、お金、ないんでしょう、とカケルさんの顔を見上げると、うん、と言って少し難しい顔をしている。

 今度は何を考えているんだろう。まさか、貝でも拾って食べる、なんて言い出さないだろうか。

 不安になって、もう一度、顔を見上げると、カケルさんは、立ち止まって、あ、と声を上げた。ジーパンの後ろのポケットに軽く手を差し込んでいたカケルさんは、もぞもぞと、奥まで手を突っ込むと、何かをつかんで引っ張り出した。
 開けた手には、四つに折りたたまれて妙にぺしゃんこになった千円札が一枚、あった。

「やったぁ」
 圭は思わず歓声を上げた。
「美晴のやつ、そのまま洗濯したな」

 一度、洗濯されてひっついてしまった千円を、カケルさんは、それはそれは注意深く、はがして広げた。

「これで、昼ごはんが買える!」
 カケルさんは、まるで子どもみたいにガッツポーズを作った。すぐには何か買えそうな店はなかったけれど、しばらく行くとコンビニの看板が見えてきた。

「あった、あった。あそこで買おうよ」
 はしゃいで言うと、カケルさんは、ちょっと鼻で笑ってから言った。
「お前がひとりで行ってこい」
「えーっ」
 どうして、と聞くと、おれは誘拐犯だからな、と言う。
「あまり、人にツラを見られちゃまずい。それに、誘拐犯は、人質をこき使うもんだ」

 そう言って、カケルさんは、はは、と笑った。そうかな、と思ったけどしぶしぶ一人で行くことにした。いいか、千円で二人分だぞ、と後ろから叫ぶカケルさんの声に、少々緊張する。何しろ、一人で買い物なんて、ほとんどしたことがない。いつもお母さんと一緒だ。ちゃんと計算して買えるかな。

 そう考えてから、そういえば、カケルさんは何が好きなんだろう、と思った。聞いてくるのを、忘れた。立ち止まったけど、カケルさんの姿は、もうなかった。きっと海岸に下りていったのだろう。空では、とんびがピーヒョロロ、と鳴いている。


 
「気をつけろ。やつら、ねらってる」
 そう言いながら、カケルさんは、腕で囲い込むようにして、圭が買ってきたハンバーガーに食いついた。砂浜に下りていく階段に腰かけて、お昼を食べている。

 確かに、頭上のとんびが、先ほどより低く飛んでいるような気がする。大きく描いていた円も、縮こまって、圭たち二人に焦点を絞ったように見える。落ち着かなくって、圭も飲み込むようにホットドッグを口に押し込んだ。

 ハンバーガーとホットドッグと、ペットボトルの水とお茶。それだけ買って、税も払ったら、おつりは百三十六円。残りをカケルさんの手の平に返しつつ、圭は言った。
「これじゃあ、あと飲み物一本ぐらいしか買えないね」
 そう言うと、カケルさんは、のんきな様子で、まぁ、何とかなるだろう、と言った。


 それからしばらくは、ひたすら国道沿いの道を歩いた。ひたすら歩いて、江の島へ渡る橋のところまで来た。

「ねえ、どこまで行くの?」
 圭がたずねると、カケルさんは、江の島の灯台のてっぺんを指した。

「あの、向こうまで」
「灯台の、向こう?」

 海のことだろうか。カケルさんは、橋に向かって歩き出した。長い橋だった。島に着くと、平日でも、江の島の入り口は、観光客でにぎわっていた。

「そうだ、おれは誘拐犯だった」
と言って、カケルさんはナップザックからサングラスを出してかけた。

「余計、あやしいよ」
 圭がそう言うと、そうか? と言って、白い歯を見せて、にっと笑った。誘拐犯というよりむしろ、初めて江の島に来た外国人の観光客という感じだった。何だか、周りの空気に流されて、うきうきしているように見える。こういう陽気さを目にすると、圭も何だか楽しい気分になる。同時に、少し不思議な気持ちにもなる。
 同級生のお父さんには、カケルさんと同じ年の人もいるだろう。けれど、運動会や授業参観とか公園などで目にする父親である大人の男の人というのは、もっと年をとっているみたいに見える。みんながみんなではないけれど。落ち着いている、とも言うし、お父さんらしく静的に見える。子どもと遊んでいても、遊んであげている、という雰囲気で、自らの心や足が弾んでいる、という感じに見えない。
 カケルさんって、年齢不詳だよなぁ、と思う。
 でも、そんなカケルさんと歩いているのって、ちょっとうれしい。
 親子というほどの親密さがない代わりに、ベタベタしてなくて、年の違う相棒、っていう感じで、何だか風通しが良くすがすがしい。

 つまりは、ちょっとカッコいい。気がする。

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