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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.39 第五章


 カップを手放したのとほぼ同時に圭に気づいた美晴は、今までと全く違った声の調子になって言った。

「圭、ただいまくらい言ってよ」

 そして、圭の足に注目して声をあげた。

「どうしたの? すごい血が出てるじゃない」

 圭は、神妙な顔つきで突っ立っている。美晴が寄っていっても、身じろぎもしない。そんな彼の肩に美晴が手をかけたとき、配達業者が食材の配達にやってきた。

「あ」
 とまどう美晴に声をかける。

「いいよ。圭のこと、おれがやっとくから」
「じゃあ、お願いします」

 カケルは、先ほど世話になった救急箱を受け取ると、圭を連れてウッドデッキに出た。

「はでにやったなー」

 ひざから大きくすりむいて、血はすねをしたたり、靴下に赤黒いしみを作っている。

「こっち来い」

 デッキの奥の壁沿いにある屋外の水道で傷を洗ってやる。圭は黙ったまま顔をしかめた。傷口に消毒液を吹きかけると、
「痛い!」
と、そこで初めて声を上げた。

「ちょっとだから我慢しろ」

 救急箱にあった、大きめのばんそうこうを貼る。最後の一枚だ。

「どうしたんだ」

 何となく圭の顔を見るのがはばかられ、さりげなく聞いてみる。

「がけみたいな所から、滑って落ちた」
 むすっとした調子で言う。

「ひとりで?」
 ウッドデッキに片足を投げ出して、圭は声を出さずに、うん、とうなずいた。

 嘘ではなさそうだが、何かまだありそうだ。うつむいて自分のひざを見つめている圭に、視線を注ぐ。

「学校帰りに」
 圭が、ぽつり、とつぶやいた。

「トンネルの向こうの草むら、探検してたんだ。そしたら、大きな黒アゲハ見つけて」
「で?」
「追いかけたら、足から落ちた」

 嘘ではないようだ。人にやられたわけではないらしい。カケルは、やれやれとばかりにため息をもらした。

「気をつけろよ」
「だって。足元なんて見てられないよ。その間に、どっかいっちゃうもの」
「好きなのか? 虫」

 圭は、なおも黙ってうなずく。好きなものを、とことん追いたい気持ちは分かる。

「そうか。この辺、いっぱいいるもんな」

 そこかしこに、草や樹木が生い茂っているこの場所では、いろんな虫が生息している。東京では目にしなかった虫も、よく見かける。

「一人で寄り道かぁ。友達と帰って来たり、しないのか」
 圭は、気まずそうにうつむいた。

 ちょっと意地悪な質問をしてしまったようだ。そうか、最初に出会ったときも、そんな感じだったな、と思い出す。心がふさいだ感じの目つきで、足を揺らし続ける圭に、それ以上追及することをやめた。カケルは、わざとらしく、自分の足を圭の足の横に、でん、と置いた。

 同じサイズのばんそうこうが貼られたカケルの足を、圭は黙ってしばし見つめる。

「あそこの、ウッドデッキ、ぶち抜いちまった」

 圭は、目を丸くして、ウッドデッキとカケルの足を見比べた。

「おれたち、気が合うな」


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