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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.9 第二章

   二章


 このピアスをするのは、久しぶりだ。鏡に向かって、ピアスをつけたあと、マリは右と左の向きが同じか、顔を少しひねって確認する。昔つき合っていた頃に、夫が誕生日にくれたもの。

 エメラルドグリーンの細かいビーズで繊細に作られたそれは、はっきりした顔立ちのマリの顔を、エキゾチックな雰囲気に見せる。いたずらざかりの二歳の娘が手を出してしまうため、普段はつけない。娘を連れて電車に乗って、二駅向こうの夫の実家のマンションへ向かう。

「じゃ、お義母さん、お願いします」

「はいはい、ゆっくりリフレッシュしていらっしゃい」

 娘は、義母に抱っこされて、無表情にバイバイする。

「じゃ、由衣ちゃんは、ばぁばといい子してましょうね」

 マンションの扉は閉められ、マリは一人の空間に残された。 
 軽く、ため息をついて八階から辺りを見渡す。風が気持ちよく、眼下に街路樹の木々が光って見える。
 公園でも散歩したら、気持ちよさそうだ。今日は、ショッピングに行こう、と思っていたけど。少々、迷いつつ、中央線に乗る。ショッピングか、公園の見えるカフェにでも行くか。

 心の中でつぶやきながら、マリは、自分の中に別のざわざわがあることに気づく。

 カフェ。先々週、ものすごく久しぶりに、大学時代の友人の佳乃と、一つ先輩の由莉奈と、鎌倉へ行った。
 覚えているでしょう、美晴ちゃん。スマートフォンで佳乃が連絡してきた。彼女、鎌倉で小さなお弁当屋さん兼カフェ、やってるんだって。
 
 美晴ちゃん。
 
 その名前を聞くのは、実に何年かぶりだった。行こう、行こう、行ってみよう! という由莉奈の勢いある誘いに乗っかって、ゴールデンウイークの最終日、三人は再会し、同じ演劇サークルの後輩だった美晴を訪ねたのだった。

 一見、通り過ぎてしまような場所に、その店はあった。道に出ている木の看板を見逃してしまったら、気づかない。

「私も、鎌倉散歩が趣味の人のブログで知ったんです」

 佳乃が、ゆっくり言う。鎌倉は好きで、よく通っているけど、知ったときはびっくりしました、と。佳乃は、新しくできた彼と、鎌倉へよく来るらしい。

 七、八年前、一度飲み会があったときは、美晴は姿を見せなかった。誰も、行方を知らなかった。

 少しひなびた洋風の別荘のようなカフェで、彼女は昔と変わらず、柔らかい笑顔を見せていた。三人が現れたとき、さすがに驚いた表情を見せたが、すぐ愛嬌のある表情へと変わった。由莉奈と、佳乃と、マリの近況をそれぞれ楽しそうに聞いていた。

 誰にでも愛される美晴ちゃん。

 インパクトは強くないけれど、何かそこにいるだけで可愛がられてしまう。そんな昔の印象そのままの彼女が、そこにいた。いや、違う。自分の生きる場所を見つけて、もっと地に足のついているような感じがした。

 昔は、何というか、何かにふっと束ねられてしまいそうな、危うい切り花のような心もとなさがあった。
 今は、根をはってすっと茎を伸ばしている地植えの花のような、そんな印象を受けた。由莉奈が、だんなさん、どんな人なの、と聞くと、少しうつむいて笑いながら、いろいろあって、別れちゃったんです、と言った。
 へえー。
 三人とも、そのあとの言葉が続かず、それ以上は突っ込んで聞かなかった。三年ほどで会社を辞めてしまったことも、それから誰とも連絡をとらずに行方知れずだったことも、それらいろいろが細かい糸でつながり絡み合っているような気がして、彼女の過去については、あまり聞き出さない方がよい気がしたのだ。


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