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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.46 第六章


 そうか。そういうことだったのか。

 カケルは、そのときやっとマリが言わんとしていることの真意が、分かった気がした。そして、隣で風に吹かれながら、パンと自家製の総菜を食べている美晴を見つめた。

 彼女は、ひそやかで豊かな何かをもっている。
 ほのかな光とかぐわしいコーヒーの香りが漂う小さな店。ウッドデッキでの夜の航海。そしてゆれる緑の下でのささやかなピクニック。

 彼女自身の中に、なにか物語、というか、旅というか、生活からぱっと切り取られた別の時間や空間を、時折見るような気がする。

 しかも彼女は、人の中の物語まで、感じて見抜いてしまうのだ。だから、ささやくような声でカケルに言ったのだろう。まるで、別世界へ行って帰ってきたみたいな顔してる、と。

「それで」

 とぎれた会話をつなぐように、彼女は口を開いた。

「カケルさんは、何を見てきたんですか?」

 こちらを見る瞳が、少しいたずらっぽく輝いている。顔の周りのゆるやかにカールした髪が、風にゆれてほほにかかった。

「すごい美人に会った」

 ぽん、と口から出てきた言葉に、少々自分でも驚いた。そんなことを話そうとは、毛頭考えてもいなかったから。

「えー」

 美晴は、好奇心をのぞかせた瞳で下からカケルを見た。その様子に後押しされて、不思議とするする言葉が出てくる。

「上の寺へ行ったら、緑の中を、淡い水色のような白のような、何とも言えない綺麗な着物を着た女性がいて。奥の庭の方へ行ってしまうから、思わず追いかけたんだけど」

 うん、それで? 美晴の目は、真剣だ。

「庭へ行ったら、どこにもいなかった」

 なぁんだ、と美晴は小さく息をもらす。

「でも続きがあるんだ。その庭は、もう何百年も続いている楽園なんだ。たくさんの蝶が音もなく舞っていた」

 これは、本当だ。今、こうしていると、あれは夢だったのかと思う。

「しばらくそこで時を過ごして、背を向けて帰り道をたどると、また、少し遠くに、さっきの白い着物が見えた。寺の外に出る門の所で、その女性は立ち止まると、こちらを振り返ったんだ」

 美晴は、息をひそめて話に聞き入っている。

「色が白くて、こう、すーっと切れ長の黒い目をしていて。この世の者ではないみたいに、美しかった」

 頭上で、青い葉がさわさわと揺れる。鬱蒼とした帰り道を思い出す。そして、そこで見たものを。

「追いかけて門を出ると、白い着物の女性はもうずっと先に下っていって、追いつけない。足を速めたんだけど」

「だけど?」

「少し曲がりくねった石段の所ら辺で、またふっと姿が見えなくなった。そのまま、とぼとぼ下ってきたら」

 カケルは、言葉を切った。そして、ナップザックから、ビデオカメラを取り出した。

「これが、いた」

 小さな液晶に映し出された淡い水色の美しい蛾を目にして、美晴は、あっと小さく声を漏らした。


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