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ペニー・レイン Vol.9

 神様は、いじわるだ。


 この世には、いろんなものすべてを手に入れている人と、ひとつ手に入れたかと思えば、すぐにそれを奪いとられてしまう人がいる。
 ママは、〝パパ〟と別れて、ひとりでぼくを育てながら、なんとか居心地のいい小さなお店を手に入れた。なのに、今度はそれも奪われてしまう。小さな幸せすら許されないんだろうか。ぼくは、ママに「解決しようとしたのか」と問い詰めた。でも、もちろんぼくにだって、解決の方法なんてわからない。せめる資格なんてないのだ。

 ぼくは、ぶつけようもない怒りと悲しみで、シーツをくしゃくしゃにしたり、蹴ったり、かみついたりしているうちに、眠ってしまった。朝、ぼくはねじれたシーツの中でぐるぐるにくるまってベッドの下の床で寝ていた。起こしに来たママは、ぼくを見て大笑いして、ぼくはその声で目が覚めた。ママはだいぶ長いことおなかを抱えて笑ったあと、こう言った。
「おはよう、さなぎのディッキー」


 だから、その日の朝はいろんな気持ちがないまぜになってすごく変な朝だった。
「お前、どうしたんだよ」
 キムは、いつもより無口で肩をいからせてずんずん歩くぼくに、そう言った。ぼくは昨日の夜から今朝までのことを、一気にまくしたてた。
「ぼく、どうしていいかわからないよ。あのお店がなくなるのは、ゼッタイいやだ。でも、ぼくには何もできない」
 キムも、お店がなくなることにはショックを受けた。
「ひどい話だな。おれだって、ドラム叩けなくなるじゃん。で、いつ返事に行くって」
「来月」
「でも、そのすぐあとにお店がなくなったりしないよな」
「うん、たぶん」
 キムは、頭の後ろで手を組んで、空を見つめた。
「じゃあ、まだちょっと時間があるな」
 キムが、こういうものの言い方をするときは、何かたくらんでいる証拠だ。
「よし、おれたちで店を救おう!」
「どうやって」
 キムは、かえるみたいに、にやりと笑った。
「ビラを配る」


 キムの思いつきは、一瞬、地味であまりぱっとしないものに思えた。ぼくは、う~ん、と言って首をひねった。キムは構わず続けた。
「お酒とか、料理とか、安い日を作ってもらってさ。まずはたくさんの人に店に来てもらう。ビラは、そうだな、ニッキ―おやじの印刷所に頼んで刷ってもらおう。カッコよく」
「……いいじゃん、それ!」
「だろ?」
「キム、天才!」
 ぼくは、飛びあがって叫んだ。
「そうと決まったら、即実行だ!」
「エドにも手伝ってもらおう」
「うん、なんか、絵とか字がうまそうだし」


 ぼくとキムは、家に帰るとすぐ、エドの寄宿学校に電話をした。興奮したぼくらは、かわるがわるに電話で話した。最初は話が飲みこめなかったエドも、ぼくらのアイデアに賛成してくれた。ただ、ひとつひっかかったようだ。
「でも、ほんとにニッキ―さんは刷ってくれるかな」
 やっぱり協力者の了解は先に得るべきだろう、ということで、ぼくとキムは、ニッキ―おやじの印刷工場に向った。


「おう、なんだい、どうしたんだい」
 ニッキ―おやじは、汗をふきふき、工場の奥から出てきた。顔や腕が、インクで黒く染まっている。お店の事情は話さずに、もっとお客を呼びたいからビラを刷って欲しい、と言うと、おやじは汗をぬぐいながら言った。
「まあな、協力はしてやりたいんだけどよ、何しろおれも雇われの身だしなあ。今、きついんだよ、工場も」
 奥から、ニッキ―おやじを呼ぶ声が聞こえた。
「ほーい、今行く」
 おやじは、振り返ってどなると、ぼくらに向き直った。
「ま、そういうわけで、悪いな。力になれなくて。また店に顔出すからよ」
 そして、真っ黒な手袋をはめながら、
「今度は同僚も連れてくからさ」
 と言うと、また暗い工場の奥へ吸い込まれていった。工場の中からは、ガシャーンガシャーンという音が、規則正しく響いていた。


「残念だったな」
 工場街のれんが道を、ぼくとキムはとぼとぼと歩いた。
「まあね、どこも大変なんだね」
 ぼくがしょんぼりと肩を落とすと、キムがばーんと背中を叩いた。
「まあ、いいじゃん、ビラでなくっても。手書きのポスターでもいいんだし。なっ」


 うーん、とぼくはうなって、その画用紙を掲げた。ほぉ、とマスターとママも目を丸くする。うまいよなあ、とキムが腕を組んだ。感心する一同の後ろで、ポスターを描いた張本人のエドは、頭をかいた。
「……いいかな、こんな感じで」
「こんな感じも何も! すてきだよ」
 クリーム色の紙に、丁寧に描かれた文字とイラスト。モスグリーンとワインレッドがセンスよく配置されて、シックでおしゃれだった。上下には、音符が踊っている。
「よし、これを入り口にはろう」
 ぼくとキムは、店の外に踊り出た。そのポスターは、古いれんがの壁にとてもよく似合った。ぼくとキムは、壁に貼られたポスターを、しみじみと眺めた。
「おお! チビ、何やってんだ」
 ぶろろろろ、という音がして、後ろから声がかかった。キムの兄ちゃんだ。スクーターにまたがり、後ろに女の子を乗せている。髪を黄色に染めた兄ちゃんは、アメリカのファッションでばっちり決めている。すっかりアメリカンナイズされたこの流行を、世では「モッズ」といっている。キムの表情は険しくなった。
「なんだっていいじゃんか」
 兄ちゃんはキムを無視して、ぼくに「よっ、久しぶり!」と言って手をあげると、ポスターに見入った。
「何なに、へえ、酒、安くなるの」
「うん、ちょっとだけだけどね。期間限定」
 ぼくは、兄ちゃんとその後ろの彼女に笑顔を向けた。
「兄ちゃん、酒は禁止だろ」
 キムは肩をいからせた。
「おいおい、かあちゃんみたいなこと言うなよ、チビ。ま、気が向いたら顔出すよ」
 兄ちゃんは、じゃっ! と手をあげると、スクーターでぶーん、と行ってしまった。彼女の水玉のワンピースが、ひらひらとはためいてた。
「……まーた違う女乗せて。ばっかみたい」
 キムは、はきすてるように言うと、店に戻っていった。


 ポスターを貼ってから、ぽつり、ぽつりとだけど、初めて見るお客さんも来た。でも、そんなにお客が増えて売上が上がったわけじゃなかった。
「急にはムリだよ」
 マスターは、店の売上を聞くぼくに、そう言った。
「でも、先月よりは売上がいいな」
「ほんと?」
「エドのポスターのおかげね」
 ママはにっこり笑いながら、お皿をふいた。バックでは、やっぱりフランク・シナトラが、「夜のストレンジャー」を歌っていた。

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