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ペニー・レイン Vol.5

 店の前まで来ると、キムがコワイ顔をして待っていた。ぼくがはた、と止まると、キムは上目遣いでぼくをにらんで言った。
「なんでないしょで行くんだよ」
 ぼくは、うつむいた。
「ないしょにしようと思ったんじゃないよ」
 キムは、まだ怒った目をしてぼくを見ている。そして、ポケットにつっこんでいた手を出して前で組むと、一歩ぼくに近づいた。
「だいたい、みずくさいんだよ。ひとりで行って、またこの間みたいにやつらに見つかったらどうすんだよ。お前なんかぺちゃんこにされるぜ」
 ぼくは、そろそろとキムの顔を見た。
「で、会えたの?」
 ぼくは、ゆるゆると首を横に振った。
「だーっ、何してんだよ、全く。結局おれがいなくちゃダメなんじゃないか」
 ぼくは、ちょっとうれしそうにぼくをけなすキムに、かちんときた。
「でも、ちゃんとことづけはしてきたもん」
「ことづけ?」
 ぼくは、ちょっと得意げになってそりかえった。
「そう、まじめそうな男の子に。彼にこの店に来てください、って伝えてくれるように言ってきたのさ」
 キムは、肩をすくめて反論する。
「なんか頼りなげだなぁ。向こうもこっちのことほとんど知らないんだぜ。知らないやつからの伝言で『来てください』って言われて、ほいほい来るかなあ。だいたい、お前、自分のことちゃんと説明したわけ?」
 そう言われて、ぼくは、彼と川辺で一度会ってサックスを聞いたことなど一言も伝えてないことに気づいた。ぼくは、体の奥から熱くなった。キムはがっくり肩を落とした。
「やっぱり。肝心なとこが抜けてんだよ」
 返す言葉もない。
 そのとき、ぼくとキムの影に、長い人影が重なってきた。顔を上げたキムの目が、驚きで開いた。ぼくが振りかえると、そこには「彼」が立っていた。 
「やあ」
 少年は、あの日と同じ青い涼しげな目をして、サックスのケースを持っている。
 ぼくは、たそがれの中にシルエットで浮かび上がる彼を前に、しばらく声が出なかった。
だって、伝えたその日に、すぐここに来てくれたなんて。
さっきまでぼくをけなしていたキムも、すっかり閉口している。辺りはうす青からやがて紫に変わり、店の看板には灯がついた。
「店、あと少しで開くんだ」
 ぼくは、彼に言った。
「もしよかったら、よっていかない?」
 彼は、少し照れたように前髪をさわってから、うん、とうなずいた。


 その夜は特別な夜になった。
 エドワード――通称エドは、ママが出したジンジャーエールをひとくち飲むと、少し遠慮しがちに店の中を見まわした。そして、ドラムセットが置いてあるステージに目をとめた。
「今はライブはやってないんですか」
 エドの質問に、ママはやわらかく笑って答えた。
「そう、やってないの」
 エドはステージに目を移して、ふーん、とうなずいた。そこへ、常連のニッキーおやじがやってきた。
「お、なんだ、若い紳士のお客さまかい」
 おやじは、すでにどこかで一杯やってきたかのようなのりで、いつもの席――奥から二番目のカウンター席にどっか、と座った。
「マスター、いつもの」
 マスターは、後ろの木の棚から札付きのバーボンを取り出して、グラスに空けた。
「ったくよう、こう不景気じゃやってられねえぜ」
 ニッキ―おやじの批判節が始まった。マスターは、まあまあ、となだめつつ慣れた手つきでグラスを前に置く。
 マスターは、ニッキ―おやじに限らずどんな人のどんな話でも、穏やかにあいづちをうちながら聞く。みんなカウンターに座っては会社のぐちやら家族の悩みを話していく。マスターは、そんな話を流すように、でもしっかりと受け止めて聞くのだ。だから、なぜかみんなカウンターを立つときには、来たときより心なしか明るい顔で帰っていく。マスターってすごく不思議な人だ。話を聞くだけなのに、人の心を軽くする。その人の話の持つ毒やとげを抜く魔法を使ってるんじゃなかろうか。ぼくは、マスターの出すお酒のグラスを見ながら、ふとそんなことを思う。
おやじは、インクで黒ずんだ手でグラスを傾けた。
「賃金は半分、時間は倍。これじゃ貧乏ヒマなしさ。おっと、なんだ」
 ニッキ―おやじの足元には、エドが持ってきたサックスのケースがあった。
「あ、すみません」
 エドは、礼儀正しく言ってから、慌ててケースを自分の方にひきよせた。おやじは、ケースを興味深そうに見ると、エドに言った。
「兄ちゃん、楽器やんのかい」
「ええ、まあ」
 エドは相変らず控えめに言い、ジンジャーエールをごくり、と飲む。ぼくは、カウンターから乗り出して、ママとマスターとニッキ―おやじみんなに向って言った。
「そうだよ! すっごく上手なんだ。サックス」
 エドは、びっくりしてせきこんだ。
「そうでもないよ」
「や、すごいんだぜ、おばさん。おれとディッキーとで川辺で聞いたの」
 キムもたたみかけるようにカウンターから乗り出した。
「吹いてよ」
 ぼくは、待ってましたとばかりに言った。エドは、怒ったような複雑な顔をこっちに向けた。ちょっと顔が赤くなっているけど、まんざらでもなさそうだ。
「だって、それを持ってここに来たってことは吹くってことだろ」
 キムがしれっとしながら、ピーナッツをつまんだ。
「聴きたいわ」
 ママの笑顔に負けて、とうとうエドは、じゃあちょっとだけ、と言って足元のケースを開けた。店のライトに照らされて、彼のサックスはこの間よりもキラキラと美しく見えた。彼は、音あわせでぷぷっと吹いてから、うねるような前奏を奏で出した。

「ユー・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」。

ぼくは、彼のとなりで口ずさむ。エドのサックスが、小さな店の中に響く。少ない観客からは一同ため息がもれた。

 キムは、はっと立ちあがると、ステージのドラムセットに座った。そして、間奏が終わった二番から、スイングのリズムを叩き始めた。ぼくは、さっきよりも大きな声で歌った。エドのサックスに、キムのスイング、そしてぼくの歌。偶然のセッションは、初めてとは思えないぐらい息がぴったりだった。

 一曲終わると、ママとマスターが、始めはぽつぽつと、そして次第に細かく拍手した。続いて、ニッキ―おやじのまるで手を叩くような豪快な拍手。
「すげえなあ、こりゃ。ミニバンドの誕生じゃねえか」
 ぼくは、目を丸くしてキムとエドを見た。二人とも、上気してほてった顔で、うれしそうに照れ笑いした。

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