【連載小説】「緑にゆれる」Vol.56 第七章
あいつら、というのは、クラスでも活発な三人組で、時々授業中席を立ったり、休み時間とっくみ合ったりして、何かと目立っている。
一度、学校帰りにからまれた。下校の途中、草むらにとまっているバッタを見つけて、しゃがみこんでいたら、ふざけて下校していた三人組の一人にけっとばされた。にらみ返したら、なんだよ、そんなとこにしゃがんでいる方が悪いんだろ、といって押し倒された。思わずかっとなって足元の土をやつらに向かってけっとばした。やつらの目の色が変わった。やられる。そう思って、少し高くなっている台地に逃げ込んだ。案の定、やつらは追ってきて、地面に突き倒された。それから、特に乱暴されるわけではないけれど、 ちょくちょく気持ちの良くないことが起こるようになった。たった一回だけれど、エンピツが折られていたり。グループの話し合いの時、三人組の一人がいたら、何となく、さけられてすぐに仲間に入れてくれなかったり。体育の徒競走の時に、わざとぶつかってこられたり。
それが、つねに一回きりで、毎日というわけじゃないのだけど、忘れたころにそれらの嫌がらせはやってきて、そのたびに、おなかの中がずうん、と重くなる。そのうち、他のことでもちょっといやだなぁ、と思うようなことがあると、そのずうんは、やってくるようになった。
だれかに、言うほどでもないし、言いたくもない。けれど、確実に、その重たさは、自分の中に積もり積もっていて、学校に向かう足を重たくさせる。
圭の唯一の楽しみは、学校帰りや放課後、公園や道ばたを散策して、虫を見つけることだった。バッタやシジミチョウ、アオスジアゲハやカマキリ。タマムシを見つけた時は、その美しさに、息をのんだ。どんなに珍しい虫を見つけても、虫かごに捕まえて閉じ込めたりしない。小さなプラスチックの箱の中だと、虫は途端に魅力的でなくなり、何かみじめに見えてしまうからだ。濃い緑の、露のそばに生息している彼らの方が、よほど色彩豊かで美しい、と圭は思う。動きだって、ドキドキするほど、心奪われる。とらえてしまうなんて、見つけた人の自分勝手な思いを満たすだけのもので、虫にとっては幸せでも何でもない。
雑草や小さな木が生い茂っていて以前はよく行っていた公園も、最近は足が遠のいている。たぶん。あいつらに言われたひと言がきっかけだ。あいつら三人は、公園のベンチに座ってゲームをやっていた。別に、ゲームに興味があったわけじゃない。ただ、彼らの後ろのやぶに、ルリシジミと思われる蝶が舞い込んだのだ。しばらく、彼らの前に立ってその後ろを見つめていると、そのうちの一人が、圭に声をかけた。
「工藤じゃん。お前もやりたいの? 持ってこれば」
すると、圭を押し倒した張本人――三人のうちで最もいばっている奴――がこう言った。
「こいつ、ないんだよ」
すると、今まで黙っていたもう一人が聞いてきた。
「そっか。買ってもらえないの?」
答えないでむっとしていると、三人は、代わる代わる圭の顔をちらっと見てから、またゲームに視線を落とした。わっ、と楽しげな歓声を上げている。
ルリシジミを追う気はすっかり失せて、圭はそのまま公園を後にした。
そうだよ。買ってもらえないよ。別に、欲しくないけど。
彼らも、他の同級生たちも、敢えて言わない。圭には、父親がいないことも。決してぜいたくができないことも。
けれど、今みたいに、彼らの世界から分断された、と思うとき、うまく言葉にできないけれど、自分だけが何か違う、と思い知らされる。ゲームも持っていない自分。何の習い事もしていなくて、日がな草むらをほっつき歩いている自分。
純粋に、わくわくしながら虫を追っていた気分はたちまちしぼんでしまい、自分には誇れるものは何もない、と元気をなくしてしまう。
プリントの白紙が埋められなくて、今日の五時間目の授業には出なかった。
言い訳をするなら、校舎の裏の岩石園で、珍しい蝶を見つけたからだ。ちょうどそのとき、五時間目を知らせるチャイムが鳴った。
ふと、そのまま、そこにいてもいいんじゃないか、と思った。自分の発表は、白紙だ。発表すべきことなんて、何もない。それだったら、ここでこうして自分の好きな蝶を観察していたっていいんじゃないか。
これだって、勉強だ。
ところが、授業が終わって教室に戻ったら、先生に叱られ、しかもお母さんまで呼び出されてしまったのだ。
「明日、やだなぁ」
ため息とともに、つぶやいていた。
「何が」
ペンを止めて、カケルさんがたずねた。
圭は、特に本が好きでもないのに、読書のグループに入れられたことを話した。そして、今日、発表をサボったので、明日は圭ひとりだけ発表をしなければならないことも、話した。黙って圭の話を聞いていたカケルさんは、圭の隣に寝ころがって頭の後ろに手を組んだ。そして、こう言った。
「それは……それで、いいのか?」
そして、さらにこう言った。
「そもそも、好きなものが誰とも違っていたら、どうするんだ?」
さぁ、と圭は答えた。答えながら、でも、ぼくも同じこと、思ったんだ、と思った。
「そうなんだ。他の子は、すごくたくさん読んでたり、好きなシリーズがあって。ぼくは……家にある虫の図鑑と、植物の図鑑と、それぐらいしか、好きな本もない」
それって、好きなことに入るのかなぁ、とつぶやくと、カケルさんは黙っていた。そして、しばらくしてから、それは自分の胸に聞いてみろ、と言った。
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