見出し画像

【連載小説】「緑にゆれる」Vol.5 第一章

  ***

 鎌倉ロケも最終日を迎え、午後も早いうちに撮影は終わった。

 カケルは、仕事仲間と駅前で解散したあと、手書きの地図を手に、住宅街へと向かった。帰りがけにバイトの平林をつかまえて、二日前に弁当を買った店の場所を聞いたのだ。店は、その日の撮影現場である山の上の公園から、距離的には、ほどなくの所にあるはずだった。

 撮影に向かう途中に、通りかかったかもしれない道。どうして気づかなかったんだろう。

 カケルは不確かな地図を見ながら、傾斜の道を行く。細い分かれ道の本数がいまいち不明だ。

「平林〰〰あいつ、地図描くのヘタだな」

 それにしても、周りはのどかで気持ちがいい。住宅街の間に見える桜も、見頃の終わりを迎えて、はらはらと花びらを散らしている。

 果たして、会えるだろうか。店の名前もよく分からないまま、緑の中を行く。全く、別の人がやっている弁当屋かもしれない。けれど、もしかして――。こんな時間に撮影が終わらなかったら、そのまま東京に戻ってしまっただろう。けれど、偶然の時の空白が、カケルの足をその場所へ向かわせた。

 工藤美晴。彼女は、大学時代の演劇サークルの後輩だった。共演したのは、たった一度だけ。しかし、その舞台は、カケルにとって忘れられないものになった。

 初めて、無になって役に入り込んでしまった舞台。同じように役そのものを生きた彼女と、心で通じ合った瞬間。彼女のひざで息を引き取るラストだった。観客は、息を殺し、舞台の最後を、男の最期を見とどけ、一瞬の沈黙の後、だれかが拍手をしてその静寂を破った。やがて拍手は大きな波となり、カケルたちを包み込んだ。あのときの、温かくも鳴りやまない拍手が忘れられない。

 今から七、八年ほど前、一度、演劇サークルの飲み会があった。副部長だった同級生の由莉奈が企画してくれたのだ。美晴は顔を見せなかった。

 卒業してから、彼女、東京のクッキングスタジオに就職したらしいよ、と由莉奈に聞いた。でも、三年ぐらい務めた後で、辞めちゃったんだって。化粧品メーカーに就職した由莉奈は、カクテルを口にしながら言った。それから、音信不通。誰とも連絡とってないみたい。一応、連絡を流すようにみんなに頼んだんだけどね、と、言葉をつないだ。その静かな口調から、それ以上、追究することを止めた。何か、特別な事情の気配を感じたからかもしれない。

 先日、撮影場所の山の上の公園まで、小さなハイキングのように、スタッフたちと歩いた。すごく気持ちいいですねー、と、一番若いスタッフの奈美は、はしゃいでいた。喧騒や人混みから離れて、自然の中で暮らす。もし、本当にここに暮らしているとしたら、それも、あいつらしいのかも。まだ会えるか分からない懐かしい面影に、かすかに口元がゆるむ。

 古いトンネルを通り過ぎると、急に緑が濃くなった。鳥の声も増し、岩壁にはえた木々が、のびのびと腕を伸ばし、青空を切り取っている。道のわきには、シダなどの大ぶりの葉が、一斉に同じ方向を向いて斜めにその手を広げている。少し進むと、左手に今は使われていないと思われる別の古いトンネルが現れた。石垣には苔がところどころむして、昔からのたたずまいを残している。入口には、高い鉄格子がはめられている。立ち入り禁止のようだ。トンネルの向こうは、淡い光に満ちていて、冷ややかな風がこちらに向かって吹いてくる。別の世界への入り口みたいだ、と思った。

 カケルは、足を止めて、ポケットからビデオカメラを取り出すと、その様子を撮影した。気になる風景やシーンに出会うと、ビデオカメラに記録する。なかなか整理できていないが、そんな風景の記録が、膨大にある。

 ビデオカメラの液晶を見つめていたカケルは、思わず目を疑った。淡い緑の光の中に、一人の小さな人影が映ったからだ。人影は、こちらへ向かって歩いてきた。小学生くらいの男の子だった。男の子は、カケルがこちらへカメラを向けていたことに気づくと、足を止めた。カケルも、そこで撮影を止めてカメラを持つ手を下ろした。

 男の子は、黙って歩を進めると、器用にも鉄格子を登り、乗り越えてこちらの地面に着地した。彼は、背をすっと伸ばすと、一瞬だけ、カケルの顔を見た。

不思議な印象の目だった。漆黒の瞳の中に、緑がゆれている。誰かに似ている。どこかで見たことのあるような瞳だ。役者で、いたっけな。

 思いを巡らしていると、男の子は、カケルに背を向けて歩き始めた。追いかけるつもりはなかったのだが、行く道が同じなので、彼の後をつける形になってしまった。黙ってついてくる男を不審に思ったのか、男の子はだんだん早足になった。そうされると、何だか無性に追いかけたくなった。これ以上早足になると、本当に不審者だな。そう思ったとき、男の子の姿はぱっ、と消えた。消えた? いや、石垣の中へ飛び込んだのだ。

 男の子が姿を消した所へたどり着くと、確かに石垣を割るようにして、細い石の階段が上へ続いていた。

 見上げたと同時に、ある人物と目が合った。――美晴だった。目に映えるやまぶき色のワンピースに、白地に薄い青の縦じま模様のエプロン姿で、こちらを見つめて立っていた。

 風が、彼女の髪とスカートを巻き上げた。散りゆく桜の花びらが、空に舞って、ひとひら、ふたひら、彼女の髪と服にはらはらと舞い降りた。

「……先、輩…?」

 やっとのことで、美晴が口を開いた。

「よう。久しぶり」

 カケルは、小さく手をあげた。

Vol.4 第一章へもどる)      (Vol.6 第一章へ つづく)

読んでくださって、本当にありがとうございます! 感想など、お気軽にコメントください(^^)お待ちしています!