キャップハンディー オリエンテイリング IQマシン
文部科学省によると義務教育の段階で、何らかの支援を要する児童数は4.2%。発達障害(学習障害、ADHD、高機能自閉)は、6.5%。こうした数字から見ると、人口の一定数にこうした障害を持っている人はどの時代でも、そして、世界のどの地域でも、同じように発生する。そして、どの家庭に生まれてくるか分からない。だから、その負担を障害児たちの家庭だけで見るるのではなく、社会全体で見てゆくという、社会福祉が行われています。ある日、障害のある人の気持ちがどうしたら分かるかな?と思っていた時のこと、いつの間にか眠ってしまって、飛び起きて、寝ている間のストーリーを書きとめました。
(その1)
キャップハンディー オリエンテイリング IQマシン
「さまざまな、ハンディキャップを持っている人々の立場を知ることは、来るべき福祉社会を作って行く上で、不可欠の要素であります。」と、教授は言った。ここは、我が支援学校の校長室。教師を前に、教授の説明が始まっている。
「キャップハンディーというのは、健常者に障害を負わせることですね。例えば、アイマスクをしたり、車椅子に乗って町に出て、視覚障害や下肢障害を体験してみるようにですね。
ところで、この、キャップハンディー オリエンテイリング IQマシーンは、さまざまな障害の内でも、これまでオリエンテイリングが不可能とされてきた、知的障害を体験することが出来るものなのです。」
そう言って、胸を張り目を細めにして、この装置の体験者が自分自身のこととして障害を考えることに貢献できるかを自信を持って語ったのでした。けげんな顔をしていたのは私達教師で、装置をしげしげ、こわごわ眺めていたのでした。
「そこの方、こちらへどうぞ。」
一寸、上がり調子の声で教授がさしたのはこともあろうに、私の方でした。校長は、ただ、私をにやにや笑って見ただけで、他の教師達も自分が言われなかったことに安心して伏し目がちににやにやしていた。おずおずと出ていった私の心配をよそに、教授は頭に心電図とか脳波の測定装置と同じ様な電極を手早く取り付けながら、
「さて、この装置で、これから、オホン。レコードしてありますサンプル脳波を、この人の脳波に移転させます。ま、原理から言えばですね。いわば、脳波の逆送り装置とか、あるいは、ビデオの再生をこの人の脳の中で行うとでも申せばお分かりいただけますでしょうか。」とみんなに説明しているうちにセットが完了してしまった。
「えぇ、このサンプルの障害の種類は、各段階の知能を切り替えられるようになっています。IQの低いレベルは重度の知的障害の方のレコードです。現在のスイッチの状態は、110です。これは、IQが110と同じ意味と考えていただいて結構です。いいですね。それでは、始めましょう。」
”パチン”といきなりスイッチが入る音。
「どうですか?何か変わったことがありましたら、お知らせください。」 「はぁ」
「では、100」
”パチン”
「別段、変わりはないようですけれど・・・」とりまき連が、緊張している私を見て、どっと笑いました。
”パチン”
「60です。」
胸にこみ上げてくる思いがした。大切なことを思い出したような気がして、「ちょっと・・・大事なものを思い出したような気がします。・・・」と言いかけますと、また、
”パチン”
その時私は思いました。いきなり60か。変わったことがあったら言うようにっていっても、何というペースだ。これじゃぁ考えている間も、納得もあったものじゃない。こんな調子では、もうすぐ、言いたいことも聞いてはもらえないのじゃないだろうか。あ、しまった。どうやって元に戻るのか聞くのを忘れていた。ちゃんと、もとの自分にもどれるのだろうか。と不安でいっぱいになった。それに、このパルス。言葉の障害もあるみたいだし。と感じ始めて、何とか、今のうちに言いたいことだけは言って置かなくてはこのままでは。
でも、思えば思うほど、うまく言えない。ゆっくりとやってくれているには違いはないのだろうけれども、それにしても、時がどんどん過ぎて行く。このままじゃいけない。せめて、せめて、一言を!
「もしも、元に戻れなくなったら、みんなの都合だけで施設に入れないで!」
と思いきり大きな声で訴えました。が、聞こえたかどうか。”パチン”と、息もつかせず、マシーンの音。ふと、気付くと教授や教員達が、まじまじと私を眺めています。
「アイキュー 10 イカガデスカ。ドウカアリマスカ。」
そんなこと、聞くなよなぁ。ここがIQ10か。何だか、こころの垢が取れたみたいな気もするけれど、私は私、大事なものには変わりはないよ。
私は、知能指数が低くなるに従って、みんなが持っている命の意味や価値が、幻のように薄らいで行くのを心静かに感じていました。それは、いつも何かの価値にすがって生ききた不安から解き放たれるかのようでした。命は、とめどなく、そして、惜しみなく、喜びそのものを私に注ぎ、誰もが同じ命を分かち合い結びあってて生きているという実感です。
それにしても、ここIQ10から見ると、知能というものは、ひとびとの間の、命と命の直接的な結びつきから、みんながどれくらい隔てられているかを測る尺度のように見えてくるのでした。それで、私はこう応えました。「みなさんがたの方こそいかがですか。」
(その2)
”パチン””パチン”
「おかしいなぁ。」と教授が機械をあれこれ調べている。「どうしたのですか。な、何がおかしいのですか。」と校長。
「いやそれがですね。今までこんな事は一度もなかったのですけれど、なぜか、元にもどって行かないのです。」
「機械が壊れたのですか。」
”パチン””パチン”
「やっぱりだめだ。機械には故障はないのですが。問題はこの人にあるようです。」
「と言いますと。」
「元に戻りたい、という気持ちがこの人にないようなのです。元のレベルに戻すための脳波が拒絶されているのです。」と教授は頭を抱え込んでしまった。
そして、「知能は現在に至るまで、全ての価値を生み出す源です。それは、能率と効用の源のはずなのです。価値を生み出さない人生は生きるに値しない。それがない人生のむなしさには禁断の知恵の実を食べた誰もが耐えられるはずがないのです。こんなはずはない。」と言い訳のようなことを言った。そして、教授は知能に関する自分の見解が崩れてゆくのを感じ動揺していた。
「彼が元に戻らなかったら、誰が責任を取るのですか。」と校長は軽々しくこの機械を試そうとした自分に苛立ちを隠せなかった。
「この人は、生きるに値する価値が無くても、生きられる何かを見つけてしまったようなのです。ですから、残念ですが、もう、手の打ちようがありません。あって、あるものを人が動かしてはならないのです。」
こう言って教授はうなだれてしまった。
「生きるに値する価値ってなんだろうかね。そんなものがあるのか。生きるのに価値など必要ない。価値を生み出す根源は知能なのか、命なのか。そんなのは、考えるまでもないことだ。」校長がつぶやいた。
さて、それから、どのくらい時間が経ったのだろうか、何かあわただしい様子に私は気がついた。私の前にレンガのような本を抱えた判定員が登場して、「えぇ~。やはり、このような知的障害の基本的心理特性と年齢、生活環境から申しましても、やはり、社会復帰のための更生指導を受けるために、施設入所が適当でありましょう。なにしろ、この教員から知的価値を取り去ればこの人の価値は、黒板の前で後ろと前を向く動作を繰り返えす人でしかありません。他に道はないようです。」とのことであった。
どうして...。私がみんなに近づく事が大事なの?。元に戻ることが訓練なの?。障害は不幸で克服すべきことなの?。そして、ない方がいいものなの。私の中にいくつものどうしてが、一度に浮かんで来ました。どうして、障害があったら、普通に暮らせる社会がないの?。支え合って暮らして行くことが当たり前でなくなるの?。障害って、誰もが生き生きと生きられる可能性を開くもじゃないの...。
私は、この事をみんなに知らせなくてはと思って、IQ10の深みより何度も何度もみなさんに呼びかけました。
「おぉ~い!分かるかぁ~い。おぉ~い!」
「おぉ~い! おぉ~い!」
何度も呼びかける声に、私は驚いて、目を覚ましました。そこは、いつもどおりの支援学校の寄宿舎の宿直の朝でした。早起きの生徒が宿直室にやって来て、私に今朝の帰省を促しているのでした。彼の目が、確かに、ニコッと笑ったようでした。(おわり)
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