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母とオカリナ

久しぶりに、母の思い出を書いてみよう。

母は、働きながら長年華道をやっていたが、定年退職後に、新たな趣味として、ヨガとオカリナを始めた。

ヨガは、たまたま私と同じヨガ教室に通うこととなり、5年ほど一緒に通っていたので、頑張っている姿を見ていたし、どれくらいヨガができるのかを知っていた。ただ、オカリナは地元のコープの教室に通っていたため、「今度発表会があるねん」とか「生徒に場を乱す人がいて嫌やねん」とか、そんな話を時々聴くくらいだった。

一度、神戸の文化会館というわりと大きなホールで発表会があったときに、夫と聴きにいったことがあったが、大勢の人と一緒に演奏しているので、母の腕前はいかほどかはわからなかった。

それが、コロナ禍になり、実家に帰ることができなくなった年のお正月。私の実家の両親と、夫の実家の義母と、私たち夫婦で、ZOOMをしたことがあった。その際に、母か義母どちらからの提案だったか忘れてしまったが、義母が電子ピアノ、母がオカリナで演奏会をしたいという話になった。

なんだか、やる気満々な二人。どんな曲にするかもお互いのレパートリーからすり合わせを行い、確か「上を向いて歩こう」とかみんなが知っているような曲を、3曲くらいやることとなった。

実はうちの母は、人前で何かをするということはあまり得意ではない。
我が我がというタイプではなく、どちらかというと控え目。7人兄妹の末っ子でおとなしく、いつも、いいところを姉や兄に取られてしまうというタイプの人だ。

と書いていて、そう言えば私が中学校の時なぜかPTAの副会長をしていたことがあり、生徒や父兄の前で挨拶をしたことを思い出した。立派に挨拶していたように思う。本当は人前で何かしたい、できるという気持ちがあったのかもしれない。

とにかく、そんなこんなでコロナ禍のお正月の演奏会が実施された。

そこで、母の演奏を聴いて私は、驚いた。

「ピヨ~」と聞こえてきた母のオカリナは、

めちゃめちゃ下手くそだったのだ。

そして、、、義母もそんなにピアノは上手くない(言いにくいが、このことを私は知っていた)。

お互いに、自分のペースでつまりながら、何とか演奏を進めていく。

おお、、、

私も夫も、息を殺しながら二人の演奏を見守るしかなかった。

父は上手いとか下手とか、そんなことには関心はない様子で、平然と聴いていた。

それでも、、、母は、一曲を何とか吹き上げ、満足そうな様子を見せる。

ちなみに義母も同様の様子。

私はその二人の姿に、今一度驚いた。

否、何らかの尊さを感じた。

こんなに、上手い下手を気にしてしまう、自分が恥ずかしい人間に思えてきた。

ただ、夫も同様の思いであることは雰囲気から伝わってきた。
私たちは、動揺を隠しながら拍手を贈る。

そんななか、途中電波トラブルなども含みながらなんとか、母たちの演奏会は終わった。

私はこの演奏会を通して、人の評価よりも自分が満足できるということが、何よりも大事なことであるということを学んだ思いだった。

その後、母が亡くなってから、自宅の整理をしていると、すごい数のオカリナ演奏用の楽譜と、結構な種類のオカリナが出てきた(これから使うつもりの新品のものもあった)。

お母さん、オカリナ好きだったんだな、、、と改めて思った。

父が、「お母さんと山に雲海を観に行ったことあったんやけど、きれいな雲海が見えてな。お母さん、そこでオカリナ吹いたんやで」と教えてくれた。

雲海を見ながら、嬉しそうにオカリナを吹く母の姿が目に浮かんだ。





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