見出し画像

リスクの大きさで、得られるものは違うのか?

今日は、8月に香港で開催されるグループ展に出展する絵を、主催者さんに郵送した。

Instagramのメッセージから声をかけていただき、「面白そう!」と思ったファーストインプレッションに加え、活動実績があることと、費用が良心的であること、過去に知人が出展していたことなどあり、参加させて頂くことにした。

ただ、参加にあたって、心配なことはあった。

私はソフトパステルを使って絵を描いているため、どんなに定着液を振りかけても、完全に表面が固まることがない。額装すると良さが出ないので、パネルのままで展示することにしているのだが、そうすると、ポロポロ落ちたりすることはないが、表面を覆うものがないため、こすると色が取れてしまう。とても繊細な作品で、自分で扱うのも気を遣うものである。

また、外国で知らない方に飾ってもらうとなると、扱いが心配ではあるし、なにせ、端を持つだけでも手に色が付いたりするので、ご迷惑にもなってしまうかもしれない、、、

ただ、そのことを気にしすぎて、どこにも出展できないというのでは、今後もいつも自分の近くに作品を置いておくしかなくなってしまう、、、

ということで、

「ここはチャレンジしてみよう!」と、もしかしたら作品が傷ついてしまうかも、というリスクを自分で背負うことにした。

できる限りしっかり梱包して、注意書きをする。それでも他人は扱えないということになれば、そこからまた次はどうすればいいかを考えるきっかけになるし、きちんと扱ってもらえて、綺麗なまま見てもらえたとしてら、もっと海外に持っていくことも気が楽になるだろう。

結果は自分の責任。上手くいっても行かなくても、自分のメリットになると考えることにしたのだ。

同じように絵を描いている友人と話をしていると、「知らないギャラリーから声をかけてもらったけど、どんなところか見に行けるならいいけど、わからないところに出展するのはちょっとね、、、」という話や、公募展などの出展料も「○○円くらいまでならいいけど、、、」ということを聞く。

それを聞いていて、出展料も含めて私は、もうちょっとリスクを取れるなと考えている。もちろん、膨大なお金を求められると怪しいと思うけれど、出展料が安いから出しやすいという考えはあまりなく、出してみたい公募展ならそれなりの金額を払ってもいいと考えている。

なぜかというと、やはりリスクは大きい方が、得られる結果もそれなりに大きいのではないかと考えているからだ。

どこまでリスクを取れるかということは人それぞれだと思う。相当大きなリスクを背負ってチャレンジして、その上で成功している知り合いの画家さんもいるが、そこまでは難しい、という範囲もある。

けれど、知らない場所で知らない人に飾ってもらう、多少の金額を払う、くらいのリスクで、海外で自分の絵を観てもらえるとか、より規模の大きい公募展に出せるというなら、それは、面白い冒険になると思う。

その小さな行動の先にどんな未来があるのか、もしかしたらないかもしれないけど(笑)ということの方が、私には興味が大きいのだ。

だから、人それぞれと思うものの、私はもう少しリスクを取ってみて、実際にどうなるかを試してみれたらなと思っている。

それが、『リスクの大きさで、得られるものは違うのか?』という問いの、答えになると思うから。

それから、、、梱包しながらもうひとつ思ったことがある。

私は何でも自分で完結しないといけないと思っているところがあるなということだ。

こんな繊細な作品で面倒くさいと思われるのではとか、スタッフさんが汚れるようなことがあったら申し訳ないとか。つまり、人に迷惑をかけてはいけないという気持ちがデフォルトにあるのだなと。

でも、Don't touch the surface(表面をさわらないで下さい)So delicate pastel painting (とても繊細なパステル画です)と注意書きをしてみて、

「表現者なのだから、自分の作品にこだわるのは当たり前ではないか?」「理解してもらえるかは別だけど、自分がこだわらずして、いったい誰がこだわるのだ!」

と、もっと自分の思いにわがままでもいいのでは?という気持ちになった。

人がどう捉えて、どう扱うかは別。でも、それに合わせて、自分の大切なものを変えてしまう必要はないのだな、と。

そしてやはり、日常のこんなちょっとしたことでも、自分を振り返るきっかけになったり、そこから付随する色んな気づきがあるものだ、ということが、私にとっては、あいもかわらずとても面白く感じられることなのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?