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カルチャー変革という「ゆとり教育」

上司「これからカルチャーを変えるんや」

僕「えっ、カルチャーですかっ?今度は何習うんですか?」

上司「それはカルチャーセンターや。組織文化を変えるんだ」

僕「は、はぁ…」

…と言われても、そもそも「組織文化」って抽象的過ぎて何をどうしたら良いのやら。


組織文化研究の第一人者であるエドガー・H.シャインさんによると、

組織文化とは、ある特定のグループが外部への適応や内部統合の問題に対処する際に学習した、グループ自身によって、創られ、発見され、また発展させられた基本的仮想のパターン

組織文化とリーダーシップ/エドガー・H.シャイン

要するに、組織特有の考え方や行動のパターンということでしょうか。上司が「変えろ」と言うからには、何かが変わったから組織文化を変えざるを得なくなったはず。

果たして変わったものは何か…

当然、企業を取り巻く環境は時代の流れとともに変化している、外部環境と組織文化が一致しなくて経営理念とギャップを生じている可能性はある。

それとも、個々人の志向性や価値観の変化により、組織内部での意見対立などからモノ言えぬ関係性に陥っている状態もあるかもしれない。

もしかしたらどこかの上司のように「取り巻き」が出世し続ける事で、組織の劣化コピーが起こって組織の戦闘力そのものが低下しているのかも。

いずれにしても、日本全国どこの組織も何らかの病におかされているということだ。たぶんこういう状態をまとめて「大企業病」と言うような気がする。

会議ばかりで何も決まらない
従業員が余計なことに手を出さない
時間になったらすぐに帰る
ルールばかり作って、守らせようとする
KPIが大好き
コトあるごとに飲み会で親睦を深めようとする
上司のご機嫌をとる管理職が大量にいる
企画書を作ることに価値があると思っている
対立を避けて、上手く収めようとする
働き方改革とやりがいという言葉が好き
「最近の若手は勉強しない」と言いながら、上司も勉強しない
何年もITとかDXと言い続けている
いつまで経っても隣の組織の顔と名前が一致しない
なんだかんだいっても年功序列

大企業病のイメージ

し、しまった…。思い当たる節が多過ぎて、書き始めたらキリが無くなってきた。

そこで、そもそも現場主体で「組織文化を変えましょう」という動きが出来て、大抵こんなのが出来上がる。

上司がうるさい事言わずに、出社時間は自由、カフェのようなオフィスでサークルのようにワイワイ仕事して、夜はチームのみんなと飲みながら遅くまで語り明かす

現場で考えるカルチャー変革

確かに自由奔放な雰囲気の蔓延した大学時代のサークル活動には近づくが、きっと高校時代のような部活動にはなり得ないはずだ。なぜなら部活動の顧問も必要ないと思っているからだ。

以前、学校教育の場で「詰め込み教育」という「知識をひたすら頭の中に詰め込むこと」に力点を置いた教育から、「ゆとり教育」に変えて「生徒の勉強の負担を減らしてその分こころの余裕を確保し、より自由な発想を育もう」という流れに変えて行ったことがあったが、決して成功とは言えなかった。

もちろん、ゆとり教育の理念は素晴らしいものだったが、現場に「教育内容3割削減」の目標を与え、現場で時間の要する理解度の低い部分をカットしてしまったがゆえに、つながりの無いむしろ暗記要素の増えたカリキュラムになってしまった。

きっと、今まさに同様な議論がなされているような気がしてならない。働くものの心の余裕を確保して、自由なアイデアを生み出せる組織の先には何が待っているのだろうか。

会社の成長か、それとも衰退か。

今まさに、パリオリンピックの真っ只中だが、あなたはオリンピック選手を目指すのか、それとも飲みサーか。

きっと、「カルチャー変革」のゴールは誰もみえていない…気がしてならない。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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