「オスロ合意」から30年。世界に平和は訪れるのか?遠いなぁ〜
1993年9月の「オスロ合意」からちょうど30年となりました。果たして世界に平和が訪れる日は来るのでしょうか?
そもそも、「オスロ合意」とは何だったのか?
歴史を遡ると、「ココ」を起点にするのが良いかと思います。1948年のイスラエル建国に伴って、第1次中東戦争が勃発しました。 それにより200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失うことになってしまいました。
以来、「故郷への帰還」を切望しながら、75年におよぶ年月を難民として過ごしているのです。
今、流行りのSDGsには「難民」という言葉が使われていないため、この問題に無関心どころか知らないという日本の経営者も数多くいます。大きなキラキラバッジはつけているんですが、、、(笑)
しかし、SDGsが掲げる持続可能な開発目標は「誰一人取り残さない」なのです。まさに彼らのためにあるような言葉だと思っています。
そして、今や三世代、四世代となったパレスチナ難民は、世界中で約580万人に達し、世界で最も大きな難民グループとなっています。
そこで話を戻しますが、長引くこのような状況を受けて、1993年にノルウェーの仲介により、 イスラエルのラビン首相と PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で「西岸及びガザで5年間のパレスチナ暫定自治を開始する」という暫定合意条約(オスロ合意)が米国で調印されました。
当時のクリントン大統領が見守る中での調印が印象的です。
これで、万事解決か?
しかし、その後もイスラエル軍の包囲や度重なる軍事侵攻は続き、今やパレスチナの人たちは方々に追いやられパレスチナ自治区は飛び地状態になっています。 (よくニュースで流れる「ガザ攻撃」ってやつです)
そうなんです。「オスロ合意」は完全に失敗に終わったのです。イスラエルとパレスチナという二つの独立国家が隣り合わせで共存するという構想は夢のまた夢となったのでした。
そしてここ日本では、入管庁の「令和4年における難民認定者数等について」によると2022年の難民認定数は過去最多の202人となった一方で、難民不認定とされた人の数は1万人を超えているという状況です。
この数字をみて、私たち日本人は十分に平和に貢献していると胸をはれるのでしょうか、、、
パレスチナのように、難民を生み出す社会だけでなく、難民を受け入れる側の社会のありようも考える時期に来ていると思います。
日本に第三国定住制度が導入されて10年以上経つが、受け入れ実績は僅か数十名。形ばかりの支援ではなく本気の取り組みが求められています。
世界の74人に1人、全世界人口の1%が何らかの理由によって住むところを追われています。
日本の「SDGs」検索数はなんと世界一なんです。しかし、本当に「誰一人取り残さない」社会を願っている人はどれほどいるのでしょうか?
領土問題というのはどこの国にとっても重要なテーマです。
あっ、庭の紅葉の木の枝がボーボーになってたんだ、週末は平和のためにもガーデニングしなきゃ(笑)
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?