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動物界の秩序と人間界の秩序は違う。そしてAIは人間の秩序を変えてしまう

アフリカの大草原で水牛の群れがのんびりと移動していました。すると、そこにライオンの群れが突如として攻め込み、一頭の子供の水牛が捕まってしまい、瞬く間に餌食にされてしまいました。

その間、親の水牛はライオンの威嚇にたじろいでしまい全く手を出すことは出来ず。無惨に子供を置いて逃げて行きました。

しかし、怒った水牛たちは、そのライオン達の後をずっと後ろからつけて行き、ライオンの家族がいる住処を見つけると、怒りに満ちた群れは母親ライオンと5匹の子供ライオンのいるところに、猛ダッシュして住処をぐちゃぐちゃにして子供ライオンを襲いました。

母ライオンは勇敢に戦いを挑むが、怒りの頂点に達した水牛にはなす術もなく、あたり一面が体重700kgもある巨体の足に踏みつけられていました。

ようやく母ライオンが子供達のもとに戻ると、そこには誰もおらず必死に子供達を探しまわりました。すると草陰から4匹の子供たちが顔を覗かせて、母ライオンのそばに駆け寄って行きました。

しかし、どうしてももう一匹が見つからずしばらくあたり一面を探し回ると、ぺしゃんこに潰された子供ライオンの死骸が横たわっており、母ライオンはずっと頭をペロペロと舐めていました。


これは、とあるアフリカサバンナのドキュメンタリー動画の内容です。

この動物達の戦いの中に「怒り」「復讐」という2つの言葉が頭の中に浮かんできますが、それに加えて「秩序」というものが見えてきます。

お互いは、一頭の水牛の子供とライオンの子供の命の重さは同じだと認識していたからこそ、生態系の秩序を守るための最善の手段が今回の報復だったのかもしれません。

必要以上に手を出せば、今度はさらに大きな痛手を食らうかもしれない、だから本能的に最小限の復讐をしたのでしょう。

もし、人間だったらどうなっていたのでしょうか。

人間にも、もちろん本能による抑制は出来ますが、それとは別に「法律」という形で秩序を保ってきた歴史があります。だから、教育という形で秩序を植え付け、他の人間に必要以上に危害を加えないようにしてきました。

しかしながら、教育過渡期の不完全な人間は「本能」と「法律」の境界を見誤り暴力、時には「いじめ」といった問題に何度も発展させてしまいました。そして、人間という集団そのものが人間の作り出した秩序を学びながら教訓とし見直してきたのです。

一方で、人間は本来獰猛な犬をペットとして飼い慣らして、本能とは別の「人間様」に都合の良い秩序を与えてきてしまった。

夕暮れの大空を一方向に飛んでいく野鳥の群れも、庭の花壇に巣穴を作り一列に連なって歩いているアリたちも、本能という秩序を保ちながら動物達の生態系を保っています。

今、AIという新たなテクノロジーの進化により、人間が作り出してきた秩序が無効化されてしまうかもしれない。そして、新たな秩序による生態系が出来上がる可能性がある、それは経済、産業、スポーツなどあらゆるものに対して影響を及ぼしていくことになるでしょう。

果たして人間は新たな秩序を構築できるのか?

ちなみに僕は犬以下に、会社に飼い慣らされていますので底辺のままです(笑)。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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