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「幸せでいるためのシンプルな公式」

「幸せでいるためのシンプルな公式」を 

さっき整理できた気がしたのでここに。

ちょい

僕もシンプルに伝えられるか…

挑戦してみます!!


幸せでいるために必要な基準?

基本的な法則はこれでは!

ってことで、


身体=本能の基準は「(その対象が)美しいかどうか?」

心=理性の基準は「(その行動が)愛であるか?」


それは

この記事を読み進みながら歩んだ旅から得た

ひとつ気付きでした。

いつもお世話になっています 

ツグミ工芸舎の木工作家・ソイさんこの文章を読み……

この記事を描(えが)くに至っておりますので

ぜひぜひ上記の文をご一読頂けたら

さらにさらにという感じでございます

まんまと毎度の如く号泣し

泣き崩れて解体され

コメント欄に至って

「ソイさんのところなら大丈夫だろう」って

感想文を書いてたら

「500文字以上はさすがにクレイジー❤ 記事を投稿してみてちょ❤」

ってポップアップが出たので

ここに移動した訳ですがw

詩人の僕にとっては

あらゆるものが詩であり

僕は常にメタファー

自分と自分以外との「つながり」

関係性を解析することで

物事を認識しながら生活していますが

その特性においても

ソイさんの絵や木工作品

こういった文章は僕は大好きで


表面がやわらかく

澄んでいて

静かだからです

(たまに異性の生命体みたいな異質な作品もありますがw)

今回の文章は僕にとっては冒険でした

イラストにあったみっつの「木」を自然と結び、

「あれ? 知り合いの名前と同じだ……」

からはじまり


今回タイトル画像にした

水色の鏡写しのような顔を眺め

自分なりに詩を読み解く




上の横顔は空


したたる涙は森の恵みとしての雨

=水


=それが下の横顔の海を

空の鏡としてつくる


そしていつだって

涙=雨=海の循環が

虹のかけ橋で結ばれている


僕らの世界を

よりよく澄んだ場所へと純化しながら

そんなことを考えつつ

「?」

って思った部分を

「どうぞ!探しにいってね!」

って

ソイさんに誘われて、

「おっ! おもろっ!」

ってなって

森に入ります

描写ごとに

脳内のフォトメモリー機能が立ち上がり

森は湿気をまといながら生い茂り

その湿気を奏でるように

あたりにたくさんの獣の声が充満している

そんなきらびやかな森を

ムービー化していく


そこにいる動植物や虫たち

木漏れ日や風や空気に

いのちを与えながら


いつもよりはっきりと

蝶のまたたきがシンクロするさまや

贅肉のない獣たちの

動きが見える

動きが聴こえる


そっか、

ここ数年

寝てる時にまず夢を見なくなったから

こっちでそのスキルを使ってんだなって

勝手に解釈しながら

自分の内側を覗き込むように

さらに動物たちの息吹に

耳をすます

森に上昇気流が旋回している場面では

木々は高く

森の天井も

数時間前よりも遠くにある


大気にはさっきよりも余白があり

そこをクジャクのような熱帯の巨鳥が

優雅に螺旋を描きながら

上昇していく


それらを横目に見ながら

森を抜け


やがて

空が

ひらける

そして


空を見上げて


僕は雨に化ける




そう

確かに悲しみもある

でも

確かにあるけど

その感情だけで

この空ができている訳ではないって

カラダが心に知らせる方法みたいに

涙が土砂降りになる


やはり嬉しいって感情や

寂しいも

苛立ちも

後悔も

怒りも

慈しみも

こみこみの

あらゆる感情がそこに含まれ

この空は

心の鏡みたいにできている


ついさっきまで

息づいていた僕の中の森の

様々な生命体が

逆に目に見える形で表現されたのが

この空っぽの大空だということに

涙を流すことで気付かされる

それらすべてのいのちの流動が

空になったから

僕は雨になれた。

このソイさんの文章で

一番好きだった場面は

「あなたの森はとても静かです。そこではあなたが出す大きな音も小さな音も音を出さないこともすべて許されています。それどころか、その森はあなたのやりたいことのすべてを応援しているのです」

そう

文字通り音もなく

ソイさんが穏やかに伝えてくださる場面でした。

まるで

もう逢うことのできない

誰かの存在のように

静寂として

僕の隣に寄り添う森として

その方が存在するみたいに

でも僕はその方にさえ

この森でなら

声や息吹を与えることができる

僕がその方との思い出と

静寂の森とともにあることを

忘れない限り

そして「活動」という言葉

なんだかこのままこの路線で「活動」していっていいんだって

なんだか自分のハチャメチャを肯定され

応援してくださっているかような

そんなあたたかさが

自分の内から湧き上がりました。

で、

冒頭の「幸せでいるためのシンプルな公式」に戻ります。


身体=本能の基準は「(その対象が)美しいかどうか?」



もちろんそれは

自分の身体にとっての好み


主観ですね


本能は普遍的に

ひとに星を美しいと感じさせ

シンメトリーなものに神秘的な美を見出し

黄金律の対比をもったデザインを心地良く感じます


それは身体=本能の反応


「楽しい」って感覚も

「恋に落ちた」って感覚も

結果論でしかないのと同じ


「楽しもう」は

想いであり

「楽しい」は

身体からのサイン


つまり、身体あっての物質的感覚!

すべては過去の産物です。

では、次に、


心=理性の基準は「(その行動は)愛であるか?」


について。

愛はアクションです。


恋してる時は

自分も相手も見えなくて

押せ押せガンガンだったけど

(㊟恋に落ちると人のIQはチンパンジーレベルまで落ちるらしいです。なぜそうするかは、「一目惚れは性欲である」というデータからご判断くださいw)


愛しているからこそ

相手との距離を計れたり

きれいなさよならを選択できたり

相手のために悪者になれたりするのと同じ

愛は自分発の

理性的な行動です。


で、

身体が拒否反応を示し、

ストレスを感じ、

それを醜いと感じても


理性により

行動を換え

試しに

新しい角度からそれを眺めてみたり


対象の側に回り込み

相手の立場に立って

想像力を働かせたり


想像力=情報の素材となる情報を

集めるために行動したりして


自分が変わり

考え方を換え

感じ方を換えるように

ちょい頑張ってみる



もちろん

自分を愛し

大切にしながら


無理無茶ない範囲を

自分とも計りながら




自分にとってネガティブなものに対しても

いつか

何かの変化で

それとつながれる時が来るかも知れない


そういったあたたかさ

そういった希望を

アクションの基準に換えるために


自分の「身体」から

自分でその熱を湧き上がらせ

自分が一度否定したものを

自分の良しとするもの

「美」に変換し


「愛」に合わせて行動する


そっか

「愛」って

自分のとなりにある静寂の森に

自分で勝手に泉をつくって

自分で汲み取ってたんだな

って


それが

この記事を読み進みながら歩んだ旅から得た

ひとつ気付きでした。


ソイさん 毎度有り難うございます!


これは、昨年夏、団地の軒下のピアノを弾いて即興した、僕の即興詩です。

上記の公式を「恋愛」を通じつつ

自分なりに模索しながら

「永遠ってなんだろう?」

って独りで探っていく旅。

ぜひ!

 ポエミュージック1stアルバム「涙(にじ)の花束/雨の花びらで花束を編む」リリース!


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僕が僕のプロでいるために使わせて頂きます。同じ空のしたにいるあなたの幸せにつながる何かを模索し、つくりつづけます。