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令和阿房列車論~その30『鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む』(11)

前回までのおさらい


…半年以上ものブランクを空けてしまいましたが、今回で完結します。

セクション19〜子供の心、大人の視線

百閒先生は東京駅の名誉駅長を、宮脇先生は取手駅の駅長の体験をしたことをこのセクションの冒頭に書かれています。

百閒先生の東京駅での名誉駅長についてですが、国鉄から依頼を受けるとすぐさま快諾したうえ、当日に何と発車する特急「はと」の展望車のデッキに乗り込んで行ってしまったエピソードがありました。
さながら学芸会での舞台の主役といったところでしょうか。

一方の宮脇先生の取手駅での駅長体験ですが、宮脇先生がしたかったことは「到着した電車で酔いつぶれた客を起こしたい」というものでした。百閒先生のような主役ではなく脇役を演じるあたりが宮脇先生らしいです。

鉄道好きの人種にとって近年のように大人になっても堂々と鉄道趣味に興じていられる時代と違って、昔、とりわけ宮脇先生の時代までは鉄道趣味に興じることは子供のすることと思われていました。

こうして時代背景を含めて文章を読んでいくと、百閒先生はいつまでも「子供の心」を抱きながら鉄道に心酔していたのに対して宮脇先生は子供の心を胸に秘めつつも「大人の視線」で鉄道に対峙していたのではないでしょうか。

セクション20〜「時は変改す」

このセクションのタイトルは、『駅長驚クコトナカレ時ハ変改ス 一栄一落コレ春秋』という百閒先生の随筆「時は変改す」の書き出しからきています。
「時は変改す」の由来は漢詩とのことですが、詳細は割愛します。直訳すると「驚くことはない。時は流れるのであり、一たび栄えたものが落ちゆくのは季節が移り変わるのと同じこと」となります。

百閒先生は「時」の変改を望まない性分で、文中にもあるように好きなのはあくまで汽車であり、電車は嫌い等々慣れ親しんだものはそのままでいてほしいと思うのでした。

宮脇先生もセクション19の駅長体験で「駅長驚クコトナカレ」に触れています。
時は昭和60年、国鉄分割民営化の2年前でかつて土地の名士でもあった駅長が、少しでも収益を上げるべく汗をかいているという話を聞いて「時は変改す」と感慨を抱いたようです。
その一方で、新幹線をはじめとする新線の「変改」には意欲的でそういうところは作品「線路のない時刻表」にあらわれています。

時は流れて令和の時代、鉄道を取り巻く環境はさらに厳しくなってしまいました。利用が少なくなったから廃線という時代からバス運転士不足によって容易に廃線出来なくなるという外部の変化も出ています。
百閒先生の時代や宮脇先生の時代が良かったといっても時代は逆戻りしません。これからの時代の鉄道に向き合いたいと思います。


これで『鉄道無常〜内田百閒と宮脇俊三を読む』の私なりの書評に筆を置くわけですが、なにぶん読書の習慣のない私がブランクを空けながらも本作品に付き合っていただいた皆さんに感謝申し上げます。

#鉄道無常

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