令和阿房列車論~その26『鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む』(10)
前回までのおさらい
…何とか1か月のブランクですみましたけれども。
セクション17〜旅を書く・内田百閒編
このセクションと次のセクションは「旅を書く」ことについて百閒先生と宮脇先生とでセクションが分かれています。
書きかたについて少し迷いましたが、セクション毎に分けて論じたいと思います。
さて、百閒先生が「旅」すなわち阿房列車をどのように書いていったか?ということについてですが、ここで論ずるまでもなく「ヒマラヤ山系」こと平山三郎先生の著書に詳細に書かれています。それゆえ私ごときが論ずることもおこがましいですが、平山先生の著書にある言葉を借りると、筆の進みが遅いのが特徴のひとつでしょう。
プロの作家の筆の進みには個人差があるということを前提としても、百閒先生の場合「特別阿房列車」が四百字詰原稿用紙56枚を20日かけて執筆したとあります。1日あたりにすると約3枚になります。
この枚数が多いか少ないかについて、著者の酒井順子さんは「遅筆」と記述しています。
ふたつめの特徴として、鉄道への愛や(他の紀行作品にありがちな)名所旧跡の扱いについてさらっとした表現になっているところです。
さらっとした表現については次のセクションの宮脇先生のところで論ずるのですが、こと『阿房列車』シリーズの作品では百閒先生と平山先生との掛け合いが中心で、特に百閒先生は「汽車」に乗ることがメインテーマであり「旅行」がテーマではないところが名所旧跡の淡白な表現になっているのでしょうか。
セクション18〜旅を書く・宮脇俊三編
宮脇先生が「旅」についてどのように書いていったか?ということについてですが、これは宮脇先生の生い立ちを展開すると大きく二つに分かれます。
ひとつは『時刻表2万キロ』などの初期の作品に描かれている会社員時代の紀行作品で、もうひとつは紀行作家になってからの紀行作品と言えるのではないでしょうか。
会社員時代の旅を題材にした宮脇先生の旅のスタイルは、金曜日の夜に出発して月曜日の朝に戻り、その足で出勤するというまさに限られた時間の中に詰め込むというものでした。
これに対して紀行作家になってからの旅のスタイルは、時間的に自由になったにもかかわらず敢えて制約を作り出すスタイルを作りました。その作品が『最長片道切符の旅』でした。
ただ、どちらにも言えることは宮脇作品には旅行に対して『制約』を設けていることです。
宮脇作品に限ったことではありませんが、鉄道趣味に興ずる人達はこの制約という縛りに抗いながらもいろいろ思考して趣味を満喫しています。こういうところはないものから創造するクリエイティブとは一線を画するところでもあります。
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